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「モノを売る仕組みをどう作るのか」という考えがある

柘野 英樹 つげの ひでき さん Zebra Japan(株) マーケティング部長

Part.3

 

■グローバル化が進む中、いかに「個」をアピールするか。

 

 デンマークの人達が、さりげなく発揮しているクリエイティビティ。型にはまらず自由な発想でいれば、何てことない毎日にも潤いが生まれる、という気づき。それらを少しでも多くの人に伝えたい。その思いは、フライング タイガー コペンハーゲンが今、日本独自で展開しようとしているスクールプロジェクトへとつながっていく。

 

「どうすれば、日本の人達がもっとクリエイティビティを発揮できるのか。そのためには、何を変えることがきっかけになるのか。考えたのですが、やはり教育だと思ったんです。

日本の教育は例えば『5+3は何?』といったように、一つの答えに向かって考える方法を突き詰めていく。当然、唯一の答えである8以外は不正解です。でも欧米の教育は、例えるなら『○+○=8です。じゃあ、この二つの数字として何が考えられますか?』という形に近い。これならば2+6とか3+5とか、いろいろな正解がありますよね。そして、考える力を磨くことができる」

この気づきを感じ取る場として、”classroom”Flying Tiger Copenhagen by Milk Japonを、フランス・パリで誕生した雑誌Milkの日本版『ミルクジャポン』とのコラボレーションで立ち上げる。

 

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日本版『ミルクジャポン』

 

"classroom"Flying Tiger Copenhagen by Milk Japonとは、学校や塾では教えてくれないけれど、将来生きるために絶対に必要なことをテーマに、子供達の教養の新しい扉を開き、柔軟な発想をするための自由を学ぶ『教室』を提供。子供が本来持つ可能性をさまざまな形で表現するエデュケーションプログラムを展開します。常に新しい発見にあふれ、誰もが持っているクリエイティビティを確認できる『教室のような場所』を、毎月開催する参加型イベントを通して作っていけたらと考えています。

私達はこの活動とコラボして、毎回さまざまなアーティストの方に来ていただき、いろいろな切り口から子供達の創造力を伸ばし、発想の幅を広げるための授業を行っていきます。まだ未定の部分も多いのですが、毎月一つのテーマを掲げ、毎回違う方に参加いただき、創造力を発揮することの楽しさや面白さに気づいてほしいと考えています。私達が考える『こんな学校があったら楽しいだろうな』というものを再現する形ですね。

 

子供達にとって、学校はなくてはならない場所。それに加えて、違う切り口を知ることのできるもう一つの学校があり、大人になる過程でいいきっかけを得られたら素晴らしい、と考えました。これは本当に大きなチャレンジです。リアルな体験の場を用意し、子供達が本来持つ可能性を楽しく発揮できる場が作れたら、もっと楽しい世の中になる。

日本は今後ますますグローバル化が進みます。その中でどう『個性』を育み、『個』をアピールできるか。そして周囲は、それをどう多様性として受け入れるか。今後はその部分がさらに求められる状況になっていくと考えられます。今までのように、有名な大学と有名な会社に入ればいつまでも安定した暮らしが送れる、という状況ではない。

学校も変化が求められていくと思いますし、変わらねばなりませんし、個人としてもいかに個性を発揮し、個として大成するかがますます大事になる。例えばさまざまな企業やブランドが、カスタマイズやパーソナライズを意識した商品を展開し、消費者はSNSで自分自身のセンスやキャラクターを発信し、情報をシェアして楽しんでいる。また、ハンドメイドEC市場のここ数年の急成長は、そのことを裏づけています。この流れは確実にもっと大きくなるでしょうし、対応する人材が育たねばなりません。私達としても、そこに大きなニーズがあると考えています

 

★華雪
“classroom”Flying Tiger Copenhagen by Milk Japon 初回のテーマは「書く」。 書家の華雪さんを講師に9月12日(土)に開催された。

 

■コミュニケーションの連鎖をどう作るか。基礎を広告代理店で学ぶ。

 

 そんな柘野さんは大学卒業後、広告代理店や外資など、さまざまな企業を渡り歩いてきた。ここからは柘野さんのユニークなキャリアと、そこで得てきたものについて、話を聞いていく。

 

「学生時代は今思い返せば、とても残念な存在だったと思います。就職氷河期といわれながらも将来をあまり深く考えてはいない、とはいえ広告業界にはすごく興味がある。そんな学生でした。

当時、2年限定のプロジェクトとしてマラソンサークルを作ったんです。人をたくさん集めて、2年後にみんなでホノルルマラソンを走って解散しよう、というコンセプトでしたが、この時、200人を集めることができました。

どうすれば人が集まるのか。集まった人をどうモチベートすれば、みんなが満足して最後を迎えられるのか。幼稚な学生の脳で考えながらも、そこそこ成功したんです。僕らが考えたことで200人もの人を動かすことができた。なかなかすごい経験だし、これが仕事になったら面白い、とも思いました。それで広告代理店を受けたものの、スタート時点で出遅れてしまい、どうにもなりませんでした」

 

 新卒で入社したのは東北新社。「CM制作を手がける会社なので同じ広告業界だし、いいだろう」と思ったが安易だった。当時の仕事はテレビCMの現場コーディネーター。ロケ地を探したり、撮影スタッフをコーディネートしたりが主な業務だ。CM制作会社の仕事は、広告代理店の下で二次元の世界を三次元の世界に落とし込むこと。広告代理店から提示された絵コンテを、いかに絵として成立させるかだった。

 

「同時に、多くの疑問を感じていました。例えば、なぜこのCMでこの有名人を使うのか、なぜこのCMは、このロケ地でなくてはいけないのか、といったように、設定に毎回毎回、大きな疑問を感じていたわけです。そこである先輩に『この商品を売りたいのなら、この設定ではなく、こうした方がいいと思うのですが…』と提案してみたら、言われたんです。『この会社にいる限り、そんなこと考えても一生かなわないよ。例えば企画をしたり、誰をターゲットにするかを考えるなら、ここじゃなく、広告代理店でやらないとダメだ』と。これが、次を考えるきっかけになりましたね」

 

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それから間もなく、次のステップとして転職した先はADKインターナショナル。柘野さんは媒体部と営業部で、7年ほど活躍した。

 

「最初に所属したのは媒体部でしたが、実質的には"媒体営業部"。媒体は雑誌がほとんどで、仕事の半分が担当の出版社に原稿を入稿しに行ったり、タイアップ記事の打合せをしたり。そしてもう半分でクライアントを持っているんです。クライアントへの営業活動と、雑誌媒体の担当を一気通貫でやっていたわけです。

その後は希望して、営業部に異動。ここではさまざまなデジタル化やイベントの提案をさせていただきました。媒体部時代は『雑誌広告を~本打ちましょう!』といった発想しか持てなかったのですが、営業部に移り、コミュニケーションのストーリーをどう作ればいいか、その基礎の部分を学ぶことができた気がします。

人に何かを伝える時、トラディショナルメディアに大量のお金を投下すればモノが売れる時代ではもはやなかった。例えばイベントを起点にしたりと、マスメディアを使う以外にもさまざまなプロモーションの方法がある、ということも知りましたね」

 

ADKインターナショナルでの7年間を経て、アディダスジャパンへ。アディダスはもともと担当していたクライアントだった。取り扱いは雑誌広告のみだったが、年間約5億円をドライブ。ADKインターナショナル社内では最も大きなアカウントだった。

 

「おそらく、ここ以上のビッグクライアントをこの会社で担当することは難しいのではないか。じゃあ、この先、自分は何をやりたいんだろう? と思いました。可能性は二つ。一つが、もっと大きな代理店でもっと大きな仕事をすること。もう一つが、広告代理店という立場からさらに上流へと上がることでした。

 

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ADKインターナショナル時代、やや寂しさを感じていたことがありました。クライアントからのブリーフィングがあり、それに対するコミュニケーションプランを提案する。はい、やりました。でも、その結果がどうだったかは、僕らにはよくわからない。それが少々、無責任な立ち位置に思えたんです。そして、そのもっと上流で担当者として責任を負い、数字を背負いながらマーケティング計画を策定していく経験を積めば、もっと面白い発見があるのではないか。そう考えたのが、アディダスに入社した理由です

 

 まず痛感したのが、広告代理店とクライアントは、最初から立ち位置がまったく違うということ。それぞれの視点の違いを理解するのには、時間がかかった。

 

「自分の担当カテゴリー、例えばサッカー、野球において『このようなコミュニケーション計画を考えています』と営業にプレゼンすると『そんなのじゃオーダー取れないよ』『そんなのじゃモノ売れないよ』という声がバンバン飛んでくる。

自分としては、すごくいいプランだと思っているわけです。最初は正直『なんでいけないの? ダメな営業だな』などと思っていた。でもあまりにも言われるので、考えてみた。

気づいたのは、観点がずれているということ。要は、僕はコミュニケーションというレベルだけで物事を考えていた。そうではないんです。

 

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モノを売る仕組みをどう作るのか。まずはマーケティングにおけるその考え方が前提としてあり、コミュニケーションはどうあるべきか、という考えは、あくまでその一部。物事は、その順序でロジカルに考えねばならないんです。でも、その時の自分はそれができていなかった。確かに一見、華やかなプランかもしれない。でもそこには、いかに売るか、という仕組みの部分に対する考えが欠如していたんです。

そう。ADKインターナショナルで担当していたことは、アディダスの巨大なマーケティング戦略におけるほんの一部分に過ぎなかった。それを、あらためて実感しましたね」

 

最終回となるPart.4では、アディダス以降の柘野さんのキャリア、そしてフライング タイガー コペンハーゲンの今後の戦略について、お話をうかがっていく。


プロフィール
柘野 英樹

柘野 英樹 つげの ひでき

Zebra Japan(株) マーケティング部長

1973年5月3日兵庫県宝塚市出身。大学卒業後、1996年に東北新社に入社し、CM制作の進行管理を担当した後、ADKインターナショナルに移り営業部で活躍。ADKインターナショナル社長賞などを受賞。’04年にアディダスジャパンへ。’07年より直営店の販売促進などを手がけ、その後はスターバックス コーヒー ジャパンにてドリップコーヒーのマーケティング戦略立案と実行に従事。スウォッチ グループ ジャパンのマーケティング部マネージャーを経て’14年、Zebra Japan株式会社に入社。フライング タイガー コペンハーゲンの日本国内におけるすべてのマーケティングプロジェクトの責任者となる。

※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです

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