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何もないところからのスタート

石川 俊介 いしかわ しゅんすけ さん 株式会社エグジステンス デザイナー

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「大量生産・大量廃棄」から「サステイナブル」へ。ファッションブランドに今後求められるのは、原料と生地の生産過程の透明化、そして持続可能性の追求。サステイナブルであるかどうかは今後、ブランドの存続を左右する要素となるだろう。今回は「メイド・イン・ジャパンの服作り」を掲げるメンズブランド「マーカウェア(MARKAWARE)」「マーカ(marka)」を主宰するデザイナーの石川俊介さんにお話をうかがう。

写真=三輪憲亮


Part.2

 

■ファッション業界が本当によかった最後の時代

 

 石川さんは10代のころからファッションに興味を持ち、大学時代には小遣い稼ぎのために、古着やスニーカーや洋服の買付けをしていた。

 

「中学~高校時代にDCブランド(デザイナーズ・キャラクターズブランド)のブームが来て、それを追いかけるように古着が盛り上がっていきました。大学に入るとアメリカものの人気が沸騰。いわゆる『渋カジ』ブームが来ると同時に、イタリアなどからインポートものも多数入ってきていました。

さまざまなファッションが日本に矢継ぎ早に入ってきて、流行がどんどん移り変わっていく。僕はその洗礼をモロに受けてきました。そんな時代に学生時代を過ごせて本当に刺激的でしたね。思い返すと、ファッション業界が本当によかった最後の時代かもしれません。当時は若い人の数が多かったこともあり、彼らのパワーは今の10代、20代とはまったく違いました

 

そして90年代に入ると、さまざまなブランドのアイテムを一つの店舗で扱うセレクトショップが一気に台頭していく。70年代から東京・原宿にあったビームスが大阪に進出したのが89年。石川さんの大学時代のことだった。このころから、全国にセレクトショップの波がやってくる。

 

 

僕が大学1~2年のころ、大きく変わったのがスニーカーの中古市場でした。スニーカーはそれまで、コンバースのワンスターなどごく限られたもの以外、新品を買うものでした。数年前のスニーカーにプレミアがつくようなことはなかった。

ところが、ナイキのエアジョーダン4や5が出たころから『やっぱりエアジョーダン1はかっこよかったね』『70年代~80年代初頭のジョギングシューズはいいよね』など、少し前のスニーカーっていいよね、という価値観が生まれた。そこで僕たちは『古い売れ残りのスニーカーなら、探せば国内にたくさんあるんじゃないか』と考え、デッドストックを探し、友達と一緒にスポーツ用品店をタウンページで調べ、片っ端から回りました。

当時は、10年ぐらい前のスニーカーを倉庫で眠らせている店がたくさんありました。向こうからすると売れ残りですから、もはや忘れていたものがいきなり売れるのだから喜ばしいことだったわけです。僕らはそういった古いスニーカーを買い取っては、東京のセレクトショップや神戸の高架下の店に売っていました

 

大学3年になると、石川さんはアメリカに留学。日本でセレクトショップが盛り上がりを見せる傍ら、東海岸の都市を回り、さまざまなファッションアイテムを買い付けた。

 

 

「アメリカでアウトレットがすごく増えていた時代でした。僕はアウトレットを回り、ラルフ・ローレンのビッグポロやチノパン、ティンバーランドのアイテムなどを買っては日本に送り、友達の店で売ってもらっていました。

当時の夢は、自分の店を構えることでした。でも、親に大学を出させてもらってアメリカに行かせてもらった身分。やはり一度は就職しておかなくてはいけない。そう思い、帰国して大学を卒業し、コンサルティング会社に入りました。すごく忙しい日々でしたが、自分はマーケティングに向いてないことを痛感しました。特に思い入れのない商品でも、理論さえ組み上げれば売れてしまう。どうしても、そこに抵抗があったのです」

 

洋服が好き。店をやりたい。そんな気持ちにフタをして忙しく働き、気づけば5年が経過していた。時は2000年代初頭。石川さんは会社を辞め、紆余曲折を経て自らのブランドを立ち上げることになる。

 

■絶対にやってはいけないパターン

 

 石川さんは2002年、markaの前身となるレディースブランドをスタートさせた。

 

正直、コンセプトも何もありませんでした。メンズのブランドをやっている友達が『レディースなら手伝ってあげるよ』と言ってくれて『じゃあそうするか』という感じでしたね。デザイナーとしてやっていくスキルは何もなく『まず始めて、デザインは周囲の人達に手伝ってもらおう』という気持ちでした。

 

 

でも実際に始めてみるとみんな忙しいし、彼らにとって、先行きがまったく見えないブランドを手伝うのは現実的ではなかった。だから、仕方なく自分でデザインをすることに…。本当に何もわからないので、専門学校のテキストを買ってきて勉強から。知識も。仕入先も売り先もない。本当に何もない状態でスタートしました。今考えるとよく始めたなぁと。まさに、絶対にやってはいけないパターンでした(笑)

 

 多くの人達にサポートしてもらい、徐々にデザインの知識とスキルを上げていった。だが、とにかく売れない。スーツケースいっぱいにサンプルを詰め込んで営業に行くも、借金ばかりが増えていく。

 

「最初のころは、どうすればいいのかわからなかった。でも、周囲の伝手をたどって一緒に展示会をさせてもらったりと悪戦苦闘するうちに、ファッション業界の流れみたいなものがわかってきた。当時から心がけていたのは、他がやっていない商品作り。そこに着目し、評価してくれる人が徐々に出てきて、面白いお店が発注をつけてくれたりするうちに、徐々に流れが変わっていきました

 

 2003年markaというブランド名に変更し、レディースからユニセックスへとシフトチェンジ。そこから徐々にメンズの引き合いが増えていった。

 

「ブランドを気に入って下さるスタイリストさんが出てきてくれたことが大きかったですね。当時は雑誌が強かったので、人気のスタイリストさんに注目してもらい、ファッション誌に載せていただく機会が増すと、いろいろなお店から引き合いをいただけるようになってきた。

 

 

ファッションの世界は独特です。当時の僕らのような国内の無名ブランドは、こちらから必死で営業をかけても『もう少し実績がないと使えない』という扱いになってしまう。でも有名スタイリストさんが気に入って下さり、雑誌で紹介していただけると、いろいろなお店から一気に問い合わせがくるようになる。そして目の利く地方のバイヤーさんがいろいろな場所で『marka面白いね』という話をしてくれると、さらに別のお店から問い合わせが入ってくる。そんな流れで、お客さんが一気に増えていきました」

 

 最初は少なかったメンズのアイテムが好評だったことで、markaはメンズブランドとして成長していく。次回Part.3では、石川さんが掲げるメイド・イン・ジャパンのモノづくりについて、話をうかがう。

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プロフィール
石川 俊介

石川 俊介 いしかわ しゅんすけ

株式会社エグジステンス デザイナー

1969年兵庫県出身。学生時代からファッションが好きで、古着やスニーカーの買付けなどを積極的行う。大学卒業後は経営コンサルティングの会社に勤務。
2002年にレディースブランドとして「marka」を立ち上げる。
2003年からメンズをスタートし、2009年より「MARKAWARE」と「marka」の2ラインを展開。
2011年に中目黒に直営店の「PARKING」をオープン。2019年秋冬より新ブランド「Text」を展開予定。

※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです

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