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相手が望むこと、まだやっていないことにフォーカスし、イエスを引き出す

平田 静子 ひらた しずこ さん ヒラタワークス(株) 代表取締役

Part.3

 

■『編集者たる者、こうすべき』というものが何もない。それが強み。


結婚・出産・離婚を経て、35歳でグループ会社・扶桑社へ出向することになった平田さん。その時は「ちょっとした人事異動」程度の感覚だったが、この経験が大きな転機となる。

「宣伝部に配属されました。戸惑いもありましたが、初めて現場らしい仕事を与えられ、モチベーションが上がりました。当時はそれほど意識していませんでしたが、転職したのと等しい、大きな変化でした。仕事を面白く思える大きな転換点だった気がします」

宣伝部で積極的に仕事をこなして7年が経った時。さらに大きな変化が訪れる。42歳で書籍編集長を命じられたのだ。まったくの未経験者で素人。編集者を経験しないまま突然編集長に抜擢されたのである。

「その時まではもちろん、ノンタイトルですよ。初めてついた役職が、書籍編集部の編集長。これは私も驚きでした。 おそらくですが、会社は私の明るいところや、好奇心の強さなどを評価してくれたのでしょう。当時の社長はフジテレビから来られた方で、出版界の人ではなかった。そのため、フレキシブルな発想があったのかもしれません。

宣伝部の仕事は、本の宣伝をすること。何をすればいいのかは、何となくわかる。でもいきなり『書籍の編集長をやって』と言われても、『えっ!? 本ってどうやってできるんですか?』からでした。

当時、もちろん私には作家やタレントの人脈はありませんし、企画のネタも何も持っていない。そして7~8人いる部下は、みんな編集のプロ。編集部内には『素人が来ちゃったな』という雰囲気がありましたね。

 

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編集者じゃなくて編集長。むしろそれだから、できたのかもしれません。編集者は細かいスキルを知らなくてはいけませんが、編集長はプロデューサーのようなもの。どんな本をどんな人に、誰のために書いてもらえばいいのか、考えていけばいい」

平田さんはまず、編集部員一人一人に現状を聞き、毎週毎週、たくさんの企画を出してもらった。そして、自分の強みは何なのかを考え続けた。

「私には編集者としての人脈はありませんが、自分の強みと、自分には何ができるかを考えました。大きな強みはフジテレビにいたこと。それを生かして、テレビ番組を本にすればいいのではないか、と発想しました。そして、ドラマ『もう誰も愛さない』をノベライズ化(小説化)することを考えたのです。当時大きな話題になっていたこのドラマは、原作本がなかったのです」

編集未経験だからこそ生まれた、新鮮なアイデアだった。

「当時、テレビドラマのノベライズ化した本は、出版社からほとんど出ていませんでした。ですから、どれぐらいのヒットが見込めるのか、まったく見当がなかった。でもフタを開けてみると、爆発的にヒット。これで自信が持てるようになりました。

 

もう誰も愛さない
フジテレビ・ドラマ「もう誰も愛さない」(1991年) のノベライス

 

 

私には『編集者たる者、こうすべき』というものが何ももちあわせていなかった。だから、私が『テレビドラマを本にしよう』と言うと、みんなが『ええっ!?』という反応でした。長い間出版界にいると、こういった発想は出にくかったと思います。つまり固定観念、既成概念を持たないということが自分に発想できる原点と言えるでしょう」

■有象無象の情報の中から、大事なものをピックアップする。


その後、ドロシー・ロー・ノルトさんの詩に心理学者・加藤諦三さんの解説をつけた『アメリカインディアンの教え』をヒットさせると、雑誌『CAZ』の編集部に異動。編集長として腕を奮った。そこから書籍編集部長となり、執行役員、取締役、常務取締役を歴任。2000年には、関連本を含めて400万部近くを売り上げたビジネス本『チーズはどこに消えた』をプロデュースした。

「編集長として本を作っている時、『ああ、これが私の仕事なんだ。人が望んでいるものを作り、供給する。それを皆さんが喜んで下さる。それが何よりうれしかった。そして書籍には読者がいて、著者がいる。雑誌もそうですよね。読者と著者。双方の方々に喜んでもらえる。こんなに素晴らしい仕事をしていることに改めて喜びを感じました。

そこでもやはり、私は面白がって人の話を聞くことから、多くの情報を得ていきました。さまざまな情報が混在する中で『これだ』という光る原石のようなものが、何となく見える。有象無象の情報の中から大事なものをピックアップしていく直感も大切ですね

整形手術を繰り返し日本各地を逃亡し続けた強盗殺人犯・福田和子の手記『涙の谷』、そして秋元康さんの小説『象の背中』など、多くのヒット作を手がけた。

 

左「涙の谷」右「像の背中」
左:福田和子著「涙の谷」 右:秋元康著「像の背中」

 

「『涙の谷』は、私の心の中に強く残っています。時効まであと21日で逮捕された福田和子のことをもっと知りたくなり、幾度となく拘置所に通い詰め手紙のやり取りを重ね、手記を出しました。そして秋元康さんには、今まで彼が経験のなかった新聞連載小説に挑戦していただきました。

著者との関係を作る際、『あなたの本を出したい』という熱意はもちろん大切ですが、相手が望むことは何か、この人がまだやっていないことは何か、今、何に興味を持っているのか、などにフォーカスし、イエスを引き出していくことも大切なことです」

最終回となるPart.4では、平田さんの扶桑社退職後の動き、そしてこの夏より新たに取り組む仕事に就いて、話を聞いていく。


プロフィール
平田 静子

平田 静子 ひらた しずこ

ヒラタワークス(株) 代表取締役

短大卒業後、1969にフジテレビ入社。管理部門を経て’84年扶桑社に出向。宣伝部を経て書籍編集部の編集長となり『アメリカインディアンの教え』など数々のヒット作を生み出す。その後、雑誌『CAZ』編集長、書籍編集部部長を経て執行役員、取締役、常務取締役などを歴任。
’00年には累計400万部の大ヒット作となった『チーズはどこに消えた?』をプロデュースした。
’07年には秋元康さんの『象の背中』の出版をプロデュースし、映画版のエグゼクティブプロデューサーも務める。
2010年に27年間の出向を終え、フジテレビを退職。
自らの会社ヒラタワークスを設立。出版を中心にさまざまなプロデュースを手がけつつ、2016年夏、株式会社サニーサイドアップキャリア代表取締役就任。

※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです

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