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ハイエンドな和食店で楽しむためのビールはない。それならば…。
なぜ、ファイナンスのスペシャリストだった山田さんがクラフトビールの世界に身を投じたのか。その理由を聞くために、まずは山田さんのキャリアを辿っておきたい。山田さんは大学卒業後、ベンチャーキャピタルを経て'99年、サイバーエージェントに入社する。
「'99年12月に東証マザーズができ、翌年に上場したのが楽天やサイバーエージェント、オン・ザ・エッヂ(ライブドア)でした。そんな状況でVCやネット企業で、IPO関連の仕事ができたことは貴重な体験でした。小さな組織では一人で何役もこなさなければならず、週に何度も会社に泊まり込んだりして大変なこともありましたが、1年で社員数が10倍になるような急成長を間近で見ることができました。」
2000年から2005年まで在籍したオン・ザ・エッヂ(ライブドア)では、ファイナンス事業を手がけた後取締役に就任する。'03年からは、関連会社の代表としてスペインへ。そして2005年、MBA取得のためイギリスのケンブリッジ大に留学。この時の経験が、その後ビールに携わる大きなきっかけとなる。
「ケンブリッジ大の卒業生で、イギリスのビールメーカーのコブラビールの創業者であるカラン・ビリモリアさんの講演を聞いたんです。彼はインド生まれで、もともと公認会計士。『インド料理に合うビールを作りたい』ということで、まったく畑違いの業界からビール業界へと挑戦したんですね。この方のスピーチは自分の中で、とても大きな刺激になりました。
それともう一つが、ヨーロッパのビール文化に触れ、いわゆるマイクロブルワリーの存在を知ったことです。当時はヨーロッパ中を旅する機会がありました。そして向こうには、土地土地に独自のビール文化がある。僕もいろいろな場所でビールを飲み、その多様性に衝撃を受けました。出かけたのはドイツのミュンヘンやベルギー、ピルスナーの発祥の地であるチェコ、デンマークのコペンハーゲンなど、さまざまです。もちろんイギリスのエールビールも、アイルランドのギネスも飲みました。
それに対して日本では、どこの店でもおおむね似たような黄色いビールしか出てこない。そして、何も考えずにそれを飲んでいました。銘柄を迷ったり、メーカーのストーリーに惚れ込むような機会は、ほとんどありません。
でも、向こうではビールを下さいと頼むと、聞き返されるんです。ピルスナースタイルなのか、ドイツのヴァイツェン(白ビール)なのか、はたまたベルギービールなのか、というように。向こうには大小合わせて、ものすごい数の銘柄があり、味も実にさまざま。そうなると、何も考えずにビールを飲むことがなくなる。そして、自分の好みって何だろう? と考えるようになる」
当時はまだ、ビールを仕事にしようとはまったく思っていなかった。
しかし2006年のいわゆるライブドア事件の影響で、山田さんは戻る場所を失ってしまう。
「日本に帰国し、会社勤めをした後に、フリーランスの立場でいろいろな会社の経営をサポートしていました。その間、東京にはどんなビールがあるのかを見てみようと、いろいろなバーやビールのイベントに行きました。すると、日本のビールもなかなか面白いとわかったのです。
以前は、日本のいわゆる地ビールには、お土産品程度のイメージしか持っていませんでした。でも当時、アメリカのクラフトビールのムーブメントに刺激されて日本のメーカーのビールもどんどん面白くなっていたし、クオリティも高い。ワールドビアカップなどのコンクールで賞を獲っているビールもすでにあった。
要は、いいものが昔から存在していたんですが、僕がそれを意識していなかったわけです。ヨーロッパのビール文化の洗礼を受け、そこで養った目線で日本を見てみたら、とてもよく見えた。そして、クラフトビールはアメリカの影響を受け、これからもっと大きなムーブメントになる、という確信も得られた。それが2007~2008年ごろですね。そこからビールの製法を勉強するようになっていきました」
ビール作りや業界のことを学ぶうちに、山田さんは自らマイクロブルワリーを作ることを徐々に意識し始める。そんなある時、頭の中に明確なイメージが生まれた。それは、きれいに整えられたハイエンドな和食店のカウンターに、ビールを注いだワイングラスが置かれた光景だった。
「その絵が、ふと僕の頭の中に見えたんです。海外にいる間、いろいろな和食店に行き、さまざまな国の方が食事をしている光景をたくさん見てきました。そのシーンに合うビールのイメージが、はっきりと見えた。考えてみると、こういうビールはない。
これが、KAGUAのコンセプトが生まれた瞬間でした。例えばワインならば、レストランのテーブルワインとして、スーパーマーケットで1ユーロで売っているものを選ぶことはあり得ない。でもビールだと、高級なレストランでも、コンビニで販売されているのと同じものを飲んでいますよね。その慣習は、今後必ず変わっていく」
そこから山田さんは、KAGUAの試作品作りに取り組んでいく。
「まずはBOP(※)施設で、いろいろなレシピで仕込みをしてみました。ビール作りの、モルトを糖化させて煮沸→冷却→発酵という一連のプロセスは、理屈としてはそれほど複雑ではないですが、シンプルな設備でやるとブレも大きいです。安定した品質は設備の性能によるところが大きいのが正直なところです。試作は合計14回行いましたが、方向性は変わっていません。作りたかったのは、香りが豊かでハイアルコールなビール。それを赤と白の2種類作り、ワイングラスで飲んでもらう。このコンセプトは最初から一貫していました。当初から目指しているもののイメージは固まっていたので、それをベースに試行錯誤していきました。(※BOP: Brew on Premise、DIY形式で醸造体験ができるサービス)
ちなみに試作の時に参考にしたものの一つが、インターネットの掲示板です。アメリカには何万人規模のホームブルーワーがいて、彼らがネットの掲示板で製法についての質問をやり取りしながら、レシピを開示している。だから、情報は何でも取れるんです。向こうでは、ビールのレシピは非常にオープンで、本もたくさん出ているんですよ」
最も苦労したのは別の部分だった。酒税法の影響で、日本国内でお酒の醸造所を作るまでには、多くの関門があるのだ。
「酒類製造免許の交付は、十分な資金を持ち、作ったお酒を売る客先がすでにあることが前提になっています。つまり、まだできてもいないお酒を買うと言ってくれる人がいない限り、取れないんですね。いろいろと方法を考えましたが、いくら粘っても僕らの力では難しい。そこで生産をベルギーのマイクロブルワリーに委託し、まずは販売実績を作ろうと考えました。委託生産であれば、酒類販売免許のみで大丈夫なので…。そしてベルギーのブルワリーに生産を委託したのは、作りたかったビールが、ベルギーの作り手が得意とするスタイルのものだからです」
山田さんは2011年に日本クラフトビールを設立。そして翌年、16軒のレストランを相手にKAGUAの販売を開始した。
「六本木のしゃぶ庵さん、渋谷の食幹さん、新橋の細川さんなど、KAGUAのブランドバリューを引き出してもらえそうなお店に、まずはお取引をお願いしました。そこから徐々に広がっていった感じです」
そんなKAGUA、そしてFARYEASTの販売戦略は、今後どのような形で展開されていくのか。次回は詳細について、さらに掘り下げていく。