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渋谷でボサノヴァ×ワイン。ありそうでなかったコンセプト

林 伸次 はやし しんじ さん bar bossa 店主

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渋谷の街の、ちょっとわかりにくい場所にある小さなワインバー「bar bossa(バール・ボッサ)」をご存じだろうか。バーテンダーの林伸次さんが営むボサノヴァとワインの店が20年近く、ほとんど変わることなく続いてきたのはなぜなのか。そこには林さんの明確な考えとたくさんの試行錯誤、そして数々の工夫がある。今回はbar bossaが長年にわたり、多くの人に愛され続けてきた理由を探っていく。

文=前田成彦(Office221) 写真=三輪憲亮


part.1

 

■まず最初に名前を決めることで、ぼんやりとした夢が動き始める。

林伸次さんは、ワインバー「bar bossa(バールボッサ)」の店主。渋谷の奥にある小さなバーに集う人達を、19年間にわたって見つめ続けてきた。そんな林さんだからこそ知っている「ここだけの話」を綴ったコラム『ワイングラスの向こう側』は、電子メディアcakesの累計アクセス数で歴代1位になるほど、人気の連載記事である。

 

「毎月、のべ500人のお客様にお会いします。ポイントは、その500人全員が酔っている、ということ(笑)。泣く人、怒る人、口説く人…さまざまな方がいらっしゃいましたし、これまで、本当にいろいろなことがありましたよ」

 

そんな林さんに、まずはbar bossaという店の成り立ちから話を聞いていく。そもそもbar bossaはなぜ「ボサノヴァ×ワイン」の店なのだろう。

 

「実は、熱狂的なボサノヴァファン、というわけでもなかったのです。私はもともと中古レコード店で働いていて、サンバやボサノヴァ、MPBといったブラジル音楽全般をよく聞いていました。そのころに仕事場で知り合って結婚した妻と一緒に店をやろう、ということになりまして、考えたのがボサノヴァをかける店だったのです。

当時レコード業界では、日本のボサノヴァ好き人口は1万人とも10万人ともいわれていて、実際に小野リサのアルバムは1万枚以上売れていました。それなのに当時、ソウルやジャズ、レゲエのバーはあっても、ボサノヴァをかけるバーはほとんどありませんでした。それが、ボサノヴァの店をやろうと考えたきっかけです。

 

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店を始めると決めて、まずしたこと。それが、"bar bossa"という名前を考えることでした。いろいろと迷って決めたなのですが、店などを始める時にまず名前を決めるのは、オススメです。店をやりたいという相談を受けた時、必ずこの話をしていますね。最初に名前を決めることで『いつかお店をやりたい』というぼんやりした夢が、具体的な形となって動き始めるのです」

 

中古レコード店を辞め、ブラジル料理店で修業を始めた。最初考えていたbar bossaのイメージは、現地の雰囲気を再現し、そこに外国人などのボサノヴァ好きな人達がやって来ては、ブラジル料理を食べながら歌って踊って…というもの。ブラジル料理店に近いものだったが、考えた末、料理を出すのはやめた。

 

「ブラジル料理店って、話のタネに一度行ったらおしまい、という気がしたんです。実際に自分達がそうですよね。和食やラーメン、パスタのお店ならば毎月何回か行くかもしれない。でもブラジル料理店って、それほど頻繁に通うものじゃない。それならばブラジルを押し出すより、バーとしてボサノヴァを前に出した方が間口が広い、と思った。そこでブラジル料理店でのアルバイトは辞め、下北沢のバーで修業しました。

そしてボサノヴァにワインを組み合わせたのは、もともと妻がワイン好きだったからです。うちの奥さんって何でも"ちょっと早い"人なんです(笑)。彼女がワイン好きでソムリエの資格を取っていて、ちょうどその直後にワインブームが来まして。

ボサノヴァとワイン。その組み合わせは、実際はブラジルにないものです。当時、ワインはカクテルよりもオシャレな存在。そしてカフェミュージックが流行していて、ボサノヴァをいいと言う人達と、ワインをいいと言う人達がかぶっていた。それが、ボサノヴァ×ワインという"ありそうでない"組み合わせを考えた理由です」

 

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店のコンセプトを固めていくに当たり、多くの人がアドバイスをしてくれた。その中で大切にした考えが「特徴をひと言で説明できる店にする」ということだった。

 

「ウチの場合は『元レコード店勤務の夫婦がやっている、ボサノヴァとワインのバー』です。他には例えば『北イタリアで学んだ本場のイタリアンを出す店』『信州のそば粉を使った蕎麦店』というように、コンセプトをひと言で言い表すことができないと、飲食店は印象に残りにくいです。

逆に言えば、それができていると、マスコミに取材されやすい。目にとまるポイントが明確なので、雑誌ならば編集者さんのアンテナに引っかかりやすいし、ライターさんも記事が書きやすい。そんなメリットもあります」

■「ない」と思う場所にあること。決め手はそれだった。

 

コンセプトを固めた後は、店の場所を決めた。

 

「最初は、修業していた下北沢を考えました。でも、あの街はやや閉鎖的で、家賃が意外と高い。だからやめました。次に考えたのが恵比寿や代官山。恵比寿は食事をするために来る人口はものすごく多い。いいお店を作れば人はそれなりに入ります。でも競合が多く、飽きられると、なくなるまでは早いです。常に新しいことを提案して、変わり続けないといけない。それが少し厳しく思えましたし、下北と同様に家賃が高いのもネックでした。そして代官山はそもそもアパレルの街で、意外と夜が早い。そして何より、服好きは飲食にお金を使わないんですね。その点で合いませんでした。
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他に考えたのは、新宿や銀座、麻布や広尾、外苑前などです。新宿や銀座は恵比寿と違い、変わらなくても意外と大丈夫。その点ではアリだと思いました。そして西麻布や麻布十番、外苑前も考えました。当時、麻布近辺はまだ地下鉄の南北線が開通しておらず、家賃も安かったから魅力的でしたし…でも、結局やめました。

僕は何かを企画する時、必ず『自分が客としてお金を払いたいか』を考えます。そして『自分は行かないけれど、流行っているから…』とは考えません。その点、僕には麻布や広尾、外苑前で飲んだ経験が数回ぐらいしかなかった。だから、あの近辺で飲む人達の気持ちがわからない。自分自身が、その感覚をつかめなかったのです

 

どうしようかと迷っている時に紹介されたのが、渋谷の奥まった場所。林さんはなぜ、ここにバーを構えることを決めたのだろう。

 

「最初、渋谷は考えていませんでした。109などがあり、若い人が多くて雑多で騒がしいイメージでしたからね。でも勧められた物件を見てみたら、まず意外と安い。そしてよく考えてみると、渋谷という駅はいろいろな所から人が来る場所です。横浜から来る人も、吉祥寺に帰る人も通る。そしてNHKやITの大手など、会社もたくさんある。

確かに『渋谷は嫌いなんだけどね』と言う人は多い。でもそんな場所だから、渋谷で飲まざるを得ない状況は多くあるわけです。

 

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そして何より、決め手となったのは場所。実際に物件を探してみると、自分でも場所がわかりませんでした。裏道を入った、渋谷とは思えぬひっそりとした場所。カップルが迷いながら『あっ、ここだ! こんな場所にこんなお店があるんだね』と見つけてくれたら、デートがきっと盛り上がるはずだと思いました。『ない』と思う場所に実はあること。それが決め手になりましたね

 

次回は引き続き、渋谷という街の特徴、そしてbar bossaが長年にわたって多くの人に愛され続けている理由を掘り下げていく。

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プロフィール
林 伸次

林 伸次 はやし しんじ

bar bossa 店主

bar bossa(バールボッサ)店主。1969年徳島県出身。18歳で上京し、20歳で中古レコード店に勤務。その後ブラジル料理店とショットバーを経て’97年、bar bossaをオープン。’01年にはネット上にBOSSA RECORDSを立ち上げ、CDライナーへの執筆も多数手がける。著書に『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由』(DU BOOKS)。電子メディアcakesに連載中のコラムをまとめた『ワイングラスの向こう側』(角川書店)。

※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです

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