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日本の魅力を外国人に伝えていくための入り口

友野 健一 ともの けんいち さん (株)日本SI研究所 マネージャー

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Part.4

 

■もともとある資源を活用しつつ、多くの若い人が集まってきた。

 

 友野さんは2010年から、墨田区の観光協会でさまざまなプロジェクトを手がけた。

 

「そのうち一つが『まち映像プロデューサー講座』東京スカイツリーで盛り上がる墨田区をさらに活性化させるには、ただメディアからの一方的な取材だけではダメ。まずは自分達のメディア力を上げるため、地域の人々が自ら映像を作ろう、というのがコンセプト。5年前からスタートして、現在まで7回開催してきました。地元の企業や団体など、個人も含めてさまざまな作品がアップされています。参加した方からは、「自分の会社を客観的に見れるようになった」、「仲間の会社とのコラボレーションのきっかけになった。」、「日常にある街の魅力を再発見できた」など、地域のメディア力向上に役立ちました。町工場の映像を見て、TVドラマ撮影につながったこともありました。

 

そこから、次に街で必要なものは街のイベントを支える人材の育成だろう、ということで企画したのが『すみだ地域イベントプロデューサー講座』。スカイツリーの開業でイベントが増え、結果、イベントをプロデュースに関心のある人が増えました。でも、イベントにはいろいろと面倒な部分があり、なかなかスムーズにはいかないんです。例えば区の施設を使ってイベントを開こうと考えた時、区のどこのセクションに相談を持ちかければ、よりスムーズに許可が下りるのか、といった細かいノウハウを教えています。その他、いわゆるテクニック的な内容と並行して、メンタルな面として、「Vision(世界観)、Mission(自らい課す責任やその思い)、 Passion(仲間や街への思い)」を設定し、実践することも学びます。もっともっとイベントを通して、街を好きになる人が増えればいいなと思います。

 

墨田区観光協会メディアプロデューサー

 

 

自らの仕事として、進めてきた2つの事業のフォーマットとなった事業は、墨田区産業経済課が11年前から続けている、中小企業の次世代経営者に向けた『フロンティアすみだ塾』でした。墨田区には、家族プラス1人、2人ぐらいの規模でやっている中小零細の町工場が多くあり、3040代の2~4代目、といった若手経営者が多くいます。その中には自分の会社のことしか知らずに外の世界との接点が少なく、視野が狭くなりがちな人も多くいます。

 

 そういった方を外に引っ張り出し、勉強をしながら交流も深めてもらおう、という考えから誕生したものです。要は、地域産業の次代を担う若手人材を育てるためのビジネススクールですね。塾頭は、元一橋大学で現在は明星大学の関満博教授。関先生が中心となり、今、このビジネススクールは全国に広がりつつあります。例えば墨田区と同じように町工場の多い東大阪市でも、同様の講座が開かれているんです。墨田区発のこうした人材育成講座は全国に広がり、それぞれの街の活性化に貢献しているのではと感じています」

 

ちなみに友野さんは観光協会を離れた現在も、墨田区東向島に住んでいる。

 

「墨田区の北側、向島から鐘ヶ淵にかけては、古くからの料亭なども残るや木造密集エリアです。近年、そうした料亭や木造建築はだいぶ減りましたが。少しでもそうした建築や風景を残そうと、古い建物のリノベーションを手掛ける人も増えてきました。この近辺はもともと土地の所有関係が複雑すぎて、バブル期の地上げを免れていたんです。結果、長屋など、昔からの建物が残り、それを面白いと感じた若いクリエイター、アーティストが集まってきて、ギャラリーやカフェ、シェアハウスなどが増えてきました。近年、東京の東側エリアでは、そうした取り組みが多くみられるようになりましたが、1990年ごろから、向島エリアではその流れがあり、広く知られるようになったためか、現在では、海外からその取り組みを見に来る人も増えています。

 

木造密集エリア2

 

 

若者にせよ、外国人にせよ、この近辺は、様々な人をとても寛容に迎え入れます。墨田区では今、人がどんどん移住して来るので、そうした方々を街の皆で歓迎できたらと、「すみだ街歓(すみだ街の歓迎会)」というイベントを実行委員会で企画し、毎年6月頃、開催しています。『この1年で墨田に住む、働く、関わるようになった人を、もっとも墨田区に興味津々な時期に巻き込み、街の情報を伝えます』ということで、集まって飲む。そんなイベントも含め、墨田区の土地柄はとてもオープンだなと感じています」

 

第三回すみだ街カン
第三回すみだ街カン

 

 

■"墨田モデル"は、他の地方都市でも展開できる。

 

 東京スカイツリーを起爆剤としつつもしっかりと自助努力を行い、古くからの地域資源を上手く生かしつつ多くの人を呼び込んだ墨田区。その取り組みは、地方創生の大きなヒントになり得る、という。

 

「東京には様々な地域の取り組みがありますが、銀座や六本木や新宿あたりの事例を地方には持って行って、流用するのは、正直言って難しいと思いますでも墨田区の、例えば古い工場をリノベーションして新しく何かを始める、といった事例は、意外と他の地域にも応用できる

 

要はこの近辺って日本各地の地方都市と一緒で『東京の田舎』なんです。歴史的にも、この近辺が栄えた時期と地方都市が栄えた時期はほぼ一緒。ですから商店街の看板の経年劣化感や、高齢化の進み具合はほとんど同じ。そうしたベースでの先に示したような取り組みや成功事例は、"墨田モデル"として、他の地域でも参考になるのではと思います。

 

 実は現在、すでに地方との情報交換は進んでいて、ものづくりを軸に、先ほどお話した東大阪の他、東京では台東区、大田区、他にも秋田や島根、鹿児島、福岡、三重、仙台などと、つながりつつあります。とはいえ最初から連携ありきの大げさなことではなく『墨田区の上手くいった取り組みを発信するので、もしよかったら使って下さい』というように、現代では、主流となっているオープンソース的な、として展開のイメージです」

 

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そして友野さん自身は今も地域との関わりを続けながら、食を軸としたインバウンド事業を手がけていく。

 

「食にフォーカスしたのは『これが来そうだ』とマッピングして決めたわけではまったくなくて(笑)。僕自身、食べることはもともと好きですし、『日本のいいものを世界に伝える』上では、食を中心にすると非常に収まりがいいんです。食には文化や歴史、自然環境などが絡められますので。和食が世界文化遺産に取り上げられたことも、つなげていけるとよいですね。

 

そして日本の食を海外の人達に伝える上で、隅田川エリアは非常に可能性があると思っています。京都とは違う日本らしさがあるこのエリアは、明治、大正、昭和と二度の震災戦災で焼けては再生し、進化してきました。そうした時間の中で育まれた助け合いの精神やダイナミズムといったDNAが隅田川エリアにはまだまだ沢山、残っていることを、街の日常で感じます。」

 

友野さんはまず2020年に向け、訪日外国人に向けたケアを食にフォーカスして行っていく。そしてオリンピック以降は、滞在・定住する外国人に向けたビジネスを広げていくつもりでいる。

 

常に、5年先のことをイメージして動くようにしています。ですから今の時点で2020年までは、おおむね決まっている。でもそこから先については、まだ考えている段階です。

 

ただ、その中で確実に言えるのは、この隅田川エリアは日本の魅力を外国人に伝えていくための入り口になる、非常にポテンシャルの高いエリアだということ。ですから僕自身もこの土地にしっかりと根づき、その上で今後、さまざまな可能性を探求し、少しでも街の役に立てたらと思います。Think globally, Act Locallyで引き続き、頑張ります!」

 

sekaicafe2押上店
2015年6月24日、2号店目となるSEKAI CAFE - OSHIAGE -(押上)がオープン

 

(終わり)

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プロフィール
友野 健一

友野 健一 ともの けんいち

(株)日本SI研究所 マネージャー

1968年2月28日東京都出身。中央大学を卒業後、’90年に1期生としてNTTデータ通信入社。システムエンジニアとして金融機関やコンビニエンスストア向け のシステム構築を行う。勤務と並行してNPO多文化共生センター東京やNPO向島学会でさまざまな地域活動を行い、東京スカイツリーの建設決定に伴って ’07年、景観シミュレーションイベント「光タワープロジェクト」を手がける。’08年に㈱NTTデータを退職。同年よりコンサルティング会社にてプランナーとして日本橋の地域活性化事業、’10年からは一般社団法人墨田区観光協会にて広報・メディアプロデューサーとして墨田区の地域活性化事業に携わる。 ’15年より株式会社日本SI研究所にて、「食」と「IT」にフォーカスしたインバウンド事業をスタート。

※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです

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