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日本を、もっと外国人が住みやすい国にしていく
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日本を、もっと外国人が住みやすい国にしていく
現在、東京五輪を目途に、主に訪日外国人への対応を軸にビジネスを展開する友野さん。では、2020年以降、2030年に向けてどう考えているのか。
「東京五輪に向けた訪日外国人旅行客への取り組みで得たノウハウを、今後、増えるであろう 長期滞在や居住をする外国人の方々への対応に生かしていきたいと思います。今後、少子化と人口減の中で、労働力は必ず不足します。そこで外国人の力を組み込んでいかないと、日本経済は回っていきません。もちろん移民政策は政府の方針による部分が大きく、短期的、感情的な思いつきでどうにかなることではないものの、非常にデリケートな問題だと思います。でも、そういった外国人を取り巻く環境やその周辺にビジネスが生まれてくるのは確かだと思っています。
例えば今、ムスリムの女性に向けた美容室の場所を、浅草で探すお手伝いをしています。1号店は恵比寿のおしゃれな街にできた美容室で、その2号店を観光地浅草へと展開されるとのこと。ムスリムの女性は人前でヒジャブを取れないので、完全にクローズされたスペースが必要です。そして豚由来の油を使った洗剤類はNGなど、いくつかの制約があります。今後は長期滞在されるムスリム向けに、そういったことに対応する必要が出てきます」
当然、労働力という面でも制約はさまざまだ。
「例えばムスリムの人は、お酒を扱う店では働けないことがある。対応は人によって異なり、例えば飲食店で働くとしても、同じ空間にアルコールがあることさえ許せない人もいれば、隣のテーブルで飲んでいる分には大丈夫とか、片づけるために触るのはダメとか、さまざまです。そこで、例えば『私は宗教上の理由でお酒をいっさい扱いません』と明記したバッジを胸につけるなど、対応を考え、それをノウハウとして積み上げていくことが大事です。そのため、まずは2020年までの訪日外国人対応で経験を積む。そしてそこで得たものを、2030年に向けて長期滞在や居住をする外国人向けに展開していくイメージです。
もちろん今、訪日対応と滞在外国人に向けた環境作りは同時にやっていかなくてはなりませんが、私達が2020年に向けて今取り組んでいることは、ある意味、その先の2030年に向けて、トレーニングになると感じています。そうしたトレーニングの繰り返しされることで、オリンピック後の日本はもっと外国人が住みやすい国になっていくと思います」
そんな友野さんは東京都多摩地区の出身。大学卒業後、一期生としてNTTデータ通信に入社し、社会人としてのキャリアをスタートさせた。
「当時はポケベルとワープロの時代。スマホもWebもありませんでした。システムエンジニアという仕事も世間でまだ一部にしか認知されていませんでした。そんな時代の中、都市銀行のシステム構築からキャリアをスタートさせ、その後、情報技術のめまぐるしい進化の中で、キャリアの後半は新規事業の企画開発、ビジネスモデル化などに携わり、大手コンビニエンスストアのドットコムサイト構築や、POS、決済、物流を連動させるシステム構築、そうしたシステムを使ったビジネスモデルのビジネス展開を考えたりしていました」
学生時代まで、生活の拠点は生まれ育った東京の西エリア。しかし社会人となって3年目以降、今も東京の東エリアで暮らし続ける。
「生まれ育った東京の西側とまったく違う風土と文化に魅力を感じてこのエリアに住み、20年以上になります。'99年から仕事と並行して在日外国人を支援するNPO法人多文化共生センター東京でボランティア活動を始め、'02年からは地元のNPO法人向島学会で、墨田区向島エリアの様々な地域資源を再発掘し、それらと新しい技術や考え方を組み合わせ、街の活性化につなげる活動を行っていました。向島エリア、そして墨田区は江戸から続く歴史・文化や、映画『三丁目の夕日』に描かれたように、人情味が触れる商店街や町工場が残るエリアで、面白い場所なんです。
そういった活動の中でやはり大きかったのが、'06年に東京スカイツリーの建設が決まったことでした。決定を受けて'07年10月に手がけたのが『光タワープロジェクト』。市民の、市民による市民のための景観シミュレーションプロジェクトです。
建設が決定した当時、地元には建設に賛成な人と反対な人がいました。もつ焼き屋で地域の大先輩の思いにも感化され、『賛成派も反対派も一緒になって、実際にタワーが建った街をイメージしてみよう』ということに。NTTデータや中央区、墨田区で知り合った仕事、プライベートの仲間に一口1万円の”旦那衆”になってもらい資金を集めました。そして、東京スカイツリーの建設予定地に9台のサーチライトを据え付け、610mの光のタワーを夜空に映し出しました。星空にスーと伸びていく光タワーには、ゾクゾクしたのを覚えてます。実際に光のタワーを見ることで'12年の開業をイメージでき、自分の今後のスカイツリーとの関わり方を考えるなど、多くの方が前向きになれた、という声が多々ありました」
友野さんはこのプロジェクトと同じ年に、NTTデータを退職。コンサル会社に転職し、大手広告代理店のプランナーとして'08年より中央区観光協会の50周年事業などを手がけた。そして'10年からは、 東京スカイツリー開業に備え、墨田区観光協会へ。
「社会に出た'90年から2000年代にかけてのITの進化は、すさまじいものがありました。NTTデータでは金融システムといった社会インフラから、ブログやSNSといったソーシャルメディアまで、ひと通り手がけたことで、ITや受注型事業については、"やり切った感"がありました。そこでこのフェーズは終了し、今度は様々なメディアを駆使して自らイベントをPRしたり、盛り上げたりして、地域活性化に携わっていこうと思ったのです」
コンサル会社のプランナーとして手がけたことの一つが、中央区観光協会の50周年事業。銀座や日本橋、人形町や月島そして築地といった観光エリア全体を盛り上げるイベントで、そのイベントプロデュースに関わらせていただいた。そこから、'10年に満を持して、墨田区観光協会へ。
「墨田区の観光インフラは、浅草、上野といった古くからの観光地には到底、及びません。区外の人から見て観光地として認知のあるのは、両国エリアぐらいだったでしょうか。そこに東京スカイツリーの建設が決定し、一気に活気づき、注目されるようになりました。実は墨田区は、江戸から続く職人の技術や伝統工芸や昭和の町工場やその製品など、ものづくりが今も脈々と息づく街です。そこで東京スカイツリーをきっかけに、来街した観光客の方々にものづくりに触れてもらおうと、考えました。例えばオープンファクトリーイベントや工場見学ツアーへの集客の他、東京スカイツリーにいらっしゃった旅行客に、ものづくりワークショップを体験してもらったりとか。墨田区は修学旅行で訪れるにはすごくいいんです。東京スカイツリー、東京ディズニーランド、そして伝統工芸の体験教室がセットにできますから。
あとはGPSを使ってスマホアプリを地図と連動させるなど、観光とITの先端技術を組み合わせた事例作りをいろいろと行いました。それをすることで、全国の自治体が視察に来て下さりました。スカイツリーとIT技術。その最先端のイメージ作りは、墨田区の新たなブランディングに大いに貢献したと思っていまその他、得意の情報通信技術を街に生かす取り組みにも力をいれた。あとはGPSを使ってスマホアプリを地図やARと連動させるなど、観光とITの先端技術を融合させた事例作りをいろいろと行いました。それをすることで、全国の自治体、商工会議所、教育機関等が墨田区に視察にくるようになりました。東京スカイツリーとIT技術。その最先端のイメージ作りは、墨田区の新たなブランディングに貢献できたのではと思っています」
最終回となるPart.4では引き続き友野さんのキャリアについて話を聞きつつ、東京の東エリアの地方創生モデルとしての可能性、そして友野さんのマーケターとしてのスタンスなどについて、お話をうかがっていく。
1968年2月28日東京都出身。中央大学を卒業後、’90年に1期生としてNTTデータ通信入社。システムエンジニアとして金融機関やコンビニエンスストア向け のシステム構築を行う。勤務と並行してNPO多文化共生センター東京やNPO向島学会でさまざまな地域活動を行い、東京スカイツリーの建設決定に伴って ’07年、景観シミュレーションイベント「光タワープロジェクト」を手がける。’08年に㈱NTTデータを退職。同年よりコンサルティング会社にてプランナーとして日本橋の地域活性化事業、’10年からは一般社団法人墨田区観光協会にて広報・メディアプロデューサーとして墨田区の地域活性化事業に携わる。 ’15年より株式会社日本SI研究所にて、「食」と「IT」にフォーカスしたインバウンド事業をスタート。
※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです