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まだ誰も手をつけていない「未開の地・八戸」

大谷 真樹 おおたに まさき さん 八戸学院大学 学長

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ネットリサーチ会社・インフォプラントを立ち上げた起業家であり、2001年には「アントンプレナー・オブ・ザ・イヤー・スタートアップ部門優秀賞」を受賞した大谷真樹さん。大谷さんが2008年、新たなチャレンジの場として選んだのは青森県の八戸大(現・八戸学院大)だった。少子化が進むこれからを、私立大学はいかにサバイブしていくのか。そして大谷さんが考える起業家の育て方、さらには地域資源に恵まれた八戸という街を活性化する、独自のアイデアとは?

文=前田成彦(Office221) 写真=三輪憲亮


 

Part.1

 

■出身地の八戸が、宝の山に見えてきた。

 

正直に言って、大学は良質なコンテンツだらけ。それを生かさない手はありません。これから、大学はどんどん淘汰される。新たな発想なしに、生き残ることは決してできません」

 

 服装は、デニムとシャツ。肩書のイメージとはかけ離れたカジュアルな装いがトレードマークだ。「ジーパン学長」と呼ばれる八戸学院大学長の大谷真樹さんは、前職が経営者という異色のキャリアの持ち主である。サラリーマン生活を経て、'90年代にネットリサーチ会社インフォプラント(現マクロミル)を創業。ウェブマーケティングの先駆け企業として成功を収めた大谷さんがなぜ、八戸学院大の学長となったのか。八戸に関わることとなったきっかけから、まずは話を聞いていこう。

 

「僕はもともと、学問や教育には無縁の人間でした。八戸に来た最初のきっかけは、インフォプラントの事業所を、東京から移転させたこと。都心の坪2万も3万もする場所でやる必要はありませんからね。バックオフィス部門を地方に移そうと考え、候補を絞っていった結果、八戸が浮上してきたんです。私は八戸出身で、皆さん『故郷に錦を飾りましたね』などとおっしゃって下さるのですが、実はまったくの偶然でして(笑)。

ただその時、あらためてビジネス目線で八戸を見て、わかりました。この街は利便性が高く、人口はそれなりに多いけれど有効求人倍率は低い。つまり、たくさんの人材があふれる街なんです。そして、青森の県民性。みんな非常にマジメで定着率も高い。だから、八戸ならばいけるのではないか。そう思い、事業所を移したわけです。その流れの中で八戸大との関わり合いができたことが、最初のきっかけです」

 

自ら立ち上げたインフォプラントが2006年にヤフー傘下となったことで、大谷さんは経営から離れ、2008年、八戸大の客員教授に就任する。

 

「辞めた直後はよくある自分探しをしていましたが(笑)、3カ月もしたら飽きてきましてね…。友人の会社の社外役員やアドバイザーを務めたりしていました。当初は、また自分で何かをしようと思っていたんです。ところが、さまざまな地域活性化の仕事や、2代目、3代目になった会社の組織改革などをいくつもお手伝いするうちに、八戸大からオファーがありまして。

実は当時、八戸のいくつかの会社に携わるうちに、どんどんこの街が面白くなっていた。八戸が、宝の山に見えていたんです。東京はさまざまな会社や組織、仕組みがすでにあり、情報も人もたくさん集まっている。その点八戸は、まだ誰の手垢もついていなかった。八戸には世界遺産レベルで貴重な、未開の大地が残っている(笑)。そんな風に、私には思えたんです

 

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■八戸の一番の魅力。それは「ほどよい規模感」。

 

 キャリアを生かし、2008年に八戸大の客員教授へと転身した。そして2009年には「起業家養成講座」を開講。経営者としての豊富な経験に基づいた次世代アントンプレナーの育成を手がけるように。そんな大谷さんにとっての、八戸の一番の魅力。それは「ほどよい規模感」だった。

 

大きすぎず、小さすぎず。ある程度の密度で人と情報が集まっていて、例えば観光、農業、漁業などといった、さまざまな手つかずの地域資源があるんです。そして、誰もそれらにビジネス目線で取り組めておらず、ノウハウもない。いい材料があるのに生かし切れていないものが山ほどあるんです。これをやらない手はないだろう、と思いました。

八戸は昔から港町で、よそ者を受け入れるオープンな風土がある。そして、プレイヤーもいる。ただし、洗練されていない。昔からの『頑張るヤツ』しかいないんです。現代的な手法やフレームワークを使ってそういった人達を上手く生かしていけば、もっといろいろなことができる。それがわかってきたら俄然面白くなって…そして、だんだん東京に興味がなくなってきた(笑)」

 

2010年には八戸大学・八戸短期大学総合研究所の所長に就任。そして2012年、大学からの要請で学長となる。

 

八戸学院大学キャンパス1

 

「誰が見ても、僕は異端児です。だから、最初は冗談だと思っていました。学長を選出する時、通常は学長選挙がありますよね。学外から学長を呼ぶとしても、学者や文科省からの天下りなどがほとんどです。でも八戸大の場合、僕の前2代は元証券会社の理事と、元銀行役員。元々外部からの招聘が多いのですが、その中でも、僕を選んだことはかなり異例だと思います。ましてや僕は、当時まだ50歳になったばかり。おそらく、最年少の学長だったと思います。

ただし、オファーをいただいた時は考えました。すべてしっかり計算したんですよ。このオファーを受けて本当に勝てるのか、と。地方大学はみんなボロボロですが、八戸大もご多分に漏れず学生数が定員割れ。青森は特に激戦区で、高等教育機関は11校ある。定員の半分でも多い方なんです。

 

今、18歳の人口は'92年の半分を切ろうとしています。人口×授業料=大学の売り上げです。それが半分になったわけで、この流れはどうすることもできない。すでに確定した未来です。そんな状況の中、僕は大学の改革を引き受け、勝つことができるのか。それを自分なりにシミュレーションし、勝算があったので引き受けたわけです

 

 ではなぜ、大谷さんは「勝てる」と思ったのだろうか…。

 

まだ、何もできていない。それどころか、マーケター的発想のかけらもなかったからです。自分にとってごく普通のことをすれば、十分に勝てる。ライバルの大学も何もやっておらず、ウチと同じなんです。地方の私学は学者肌のトップが集まっては、国から私学への補助金が少ないなど、不平不満ばかりを言っている。そんな状況ですから、ちゃんとした戦略を立て、それを実行すればいいと思いました」

 

では大谷さんは、八戸大をどのように改革していったのか。そして大谷さんの考えから見える、これからの新たな大学像とは? 次回からは、そのディテールに迫っていく。

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プロフィール
大谷 真樹

大谷 真樹 おおたに まさき

八戸学院大学 学長

1961年青森県生まれ。学習院大経済学部卒業後、プラント会社を経て日本電気へ。
’96年に市場調査会社インフォプラント(現・マクロミル)を立ち上げ、2001年に「アントンプレナー・オブ・ザ・イヤー・スタートアップ部門優秀賞」を受賞。
2008年に八戸大(現・八戸学院大)客員教授となり、2010年に八戸大学・八戸短期大学総合研究所所長に就任。
2012年4月、八戸大学学長に就任。’13年4月、八戸学院大学に校名変更を行った。

※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです

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