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伝統とは革新の連続。守るために新たなチャレンジを続ける
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伝統とは革新の連続。守るために新たなチャレンジを続ける
オファーを受けたその場で、何かしらの具体的な提案をする。そんな島田さんの「瞬発力」のベースとなっているものは、雑誌Numberの編集者時代から国内外で得てきた見聞の数々、そして、それらを意外な形で組み合わせる「コラボマーケティング」的手法だ。
「例えばNumber時代に手がけた、競馬の武豊さんとスキージャンプの荻原健司さんの対談記事。スキージャンプも競馬も『風』の影響をすごく受ける競技。風をどう受け止め、風とどう向き合うかが、非常に大きなテーマになりました。まったく違うスポーツでも、そこには時として素晴らしい共通点がある。
例えば野茂英雄さんと佐野元春さんのコラボ。佐野さんが野茂さんの大ファンだと聞き、佐野さんに野茂さんの応援歌を作ってもらうという企画をNumberの誌面でやりました。コラボには大きなメリットがあります。野茂さんのファンや野球好き、スポーツ好きだけじゃなく、佐野さんのファンや音楽好きの人達も、もしかしたら表紙を見てNumberを買ってくれるかもしれない。
つまり、一つのことだけで考えのではなく、何かを組み合わせる、かけ合わせることで新しい価値が生まれるのです。そもそも面白くありませんか? 意外な組み合わせって。これは伝統産業の再生を行う時も、さまざまな地域のプロジェクトを行う時も、すべて同じ手法です。自分が得てきた経験と知見を意外な形で組み合わせて、新しい価値を生み出す。これは、成功する一つの手法だと思います」
ただし、本当の意味での成功には時間がかかるのは確か。カフェを作る、動物園をリニューアルする…そういったプロジェクトを「実現」しただけでは、まだ弱い。次はそれを、どのようにして本当の「ムーブメント」に育てていくか。伝統工芸を再興していく時に、大事なのは、伝える力と、それを長い年月続くものにする、という目線だという。
「ただモノを作るだけではダメ。例えそれがネットの中でやったことでも、外の世界に大きく広がるレベルへと成長させる。そして、それを長く続けていくことです。1発の打ち上げ花火じゃダメ。細く長く1000年、2000年続くものにする。僕はいつも、この考えはすごく大切だと思っています。1000年先を見据えて、100年後何をするか。そして、10年後取り組むべき。今取り組むべきことはその10年後を目指す。地域活性化には、そういった発想が必要。もしかしたら今は損をしているかもしれない。でも1000年先に京都の街が、そして地球が残るならば、必要なことかもしれない。そういった意識があるかないかで、結果はだいぶ違ってくる。今さえよければ、と言い始めたら、もうダメです。
それと、どの地域にも共通する活性化への課題なのですが、その地域の外を知らない人がとても多い。カッコつけた言い方をすると、僕はすべてを旅から学んだと思っている。ですから、外の人が何を求めているかを知るためにも、旅をして下さいとよく言います。ご自身で10カ所旅をなさってはどうですか? と。旅をすれば、そこでどんなお土産が売られているか、ホテルでどんなサービスを受ければ一番心地いいか、といったことを自ら体感できる。そしていいものがあれば、それを実践すればいい。僕が教えられることなど、何一つない。だけど、それができる人は100人中2人ぐらい。それが現実ですね。
僕は時々、一緒にプロジェクトをやっている京都の若手職人を連れて海外に行くことがあります。さまざまな伝統工芸の若手が競うユースコンペがあるのですが、そういったものの最優秀受賞者には、賞金が10万円ぐらい出たりする。僕はよく『祇園で飲んで使っちゃダメ。その10万円を持って、スペインでもフランスでもイタリアでも一緒に行って、いろいろなものを見て議論をしよう』と言います。そこまでやらないと、お互いの共通認識が深いものになっていきません」
伝統工芸の職人の役目は、昔からの作り方を守ることではない。伝統工芸だからこそ、時代に合わせた進化を恐れてはいけない。
「いろいろな京都の老舗がなぜ1000年、500年、続いているか。答えは簡単で、その時代に合った商売をしているからです。ダーウィンの進化論と同じで、頭がいいわけでも、ケンカか強いわけでもない。時代にフィットしたことをするだけです。例えば和菓子店でも、江戸時代と今では砂糖の量がまったく違うといいます。理由は時代ごとに消費者の求める味覚が変わり、それに柔軟に対応しているから。どんな老舗も時代に合わせて、いろいろなことを変化させているんです。
つまり、伝統とは革新の連続。伝統を守りたいからこそ、常に新しいチャレンジを続ける。もちろん、1回だけじゃダメですよ。挑戦を続けることが、自分達の根っこにある本質的な部分を絶やさずに継承することにつながっていく。だから、チャレンジして失敗しても構わないのです。『やった』という事実がプラスのノウハウとなり、自分達のモノ作りに進化をもたらす。だから伝統にこだわるほど、新しいものへのアンテナを常に張り続けなくてはいけないのです」
そして今後は、どのようなプロジェクトに携わっていこうと考えているのか。島田さんは「ちょっと夢物語と思われそうですが、とても現実的なお話しをしますね」と前置きした上で「今、最も強い関心の対象は宇宙です」と語る。
「僕は地球上では、ずいぶんいろいろな場所に出かけてきましたからね(笑)。ただしこれは、ただ単に宇宙旅行をしたい、ということではありません。手近なところでは、京都のさまざまな企業とコラボして、宇宙食に和食を導入する、といったことをやってみたい。
実は京都には、村田製作所とか京セラ。任天堂、オムロン、といった技術レベルの高い会社がたくさん存在している。そして彼らの技術の中には、航空宇宙技術に応用展開できるものが多々ある。
僕が今考えているのは、宇宙旅行よりもう少し身近な仕組みと仕掛け作り、と言えばいいのでしょうか。例えば、日本の宇宙ステーションで晩餐会を開いて、京都の一流料亭の味を提供する、なんて面白いですよね。日本の『きぼう』という宇宙ステーションに各国の関係者を呼んでウェルカムパーティーをするのなら、やっぱり和食を出したいじゃないですか(笑)。
宇宙旅行というとハードルは高いですが、晩餐会ならそこまで難しくはない。なぜなら、宇宙ステーションがあるのは地球からたった330㎞ぐらいの所。東京から見たら、名古屋ぐらいの距離です。食材の輸送は、宇宙エレベーターを使うことを視野に入れています。そこでの晩餐会ならば、宇宙旅行よりも実現はずっと早いはず。
ライト兄弟が空を飛んだのは1907年で、アポロが月の石を拾って帰ったのが1969年。人類が空を飛んでから宇宙までたどり着くのまで、70年かかっていない。今、テクノロジーがものすごい勢いで発展していることを考えると、宇宙で晩餐会が行われるのは、きっともうすぐのことですよ」
世界を見た目線で、京都を見つめ直す。そして京都から日本、そして再び世界へと視野を広げ、宇宙を見すえる。そうやって、島田さんの活動フィールドは今後ますます広がっていくだろう。
(終わり)
1964年京都府出身。着物に家紋を手描きする紋章工芸職人の家庭に育つ。大学卒業後は日経BP社を経て、文藝春秋のスポーツ総合誌『Number』編集部に10年間在籍。多くのアスリートの取材を行う。
2005年に「京都、日本のモノ、コト、文化を世界に、世界の人を日本、京都に」をキーワードに、ヒト、モノ、コト、文化をコラボレーションしブランディングする企画会社、株式会社クリップを設立。伝統とモダンをキーワードに、京友禅×アロハシャツpagongなどのユニークなコラボ商品の他、「伊右衛門サロン京都」、デザインホテル「The Screen」、「尾道新開Bishokuプロジェクト」や京都市動物園のリノベーションなど、多数のプロジェクトを手がける。
※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです