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「お客さんが食べたいもの」と向き合い、一緒に作り上げる
今年9月にオープンしたばかりの「未来食堂」は、カウンター12席だけの小さな定食店だ。この店が他と大きく異なる点の一つ。それは「あつらえ」というコンセプト。今回は、IT企業のエンジニアから飲食業界に身を投じるという珍しいキャリアを持つ、未来食堂オーナーの小林せかいさんにお話をうかがう。
文=前田成彦(Office221) 写真=三輪憲亮
本の街・神保町の片隅にたたずむ雑居ビル。その地下に「未来食堂」はある。この小さな店がメインコンセプトとなっているのが「あつらえ」というシステムだ。今回はまず、このユニークな仕組みのバックボーンから、話を聞いていく。
「『あつらえ』とは、おかずのオーダーメイドができる、ということなんです」
語るのは、オーナーの小林せかいさん。彼女は日本IBMとクックパッドのエンジニアから、飲食業界に転じた珍しいキャリアの持ち主。小林さんが一人ですべてを切り盛りする未来食堂の基本のメニューは、日替わり一種類のみ。そして、ここの最も大きな特徴が「あつらえ」。1点あたり400円をプラスすれば、その日、冷蔵庫の中にある好きな食材を使ったおかずを"あつらえて"くれる。つまり、お客さんは、食べたいと思うメニューをその日にある食材の中からオーダーメイドで作ってもらえる、というわけだ。
「他のお店に『おすすめ』や『おまかせ』ってありますよね。未来食堂にそれはない。ここのスタンスは『これがおいしいから食べに来て下さいね』というものでは決してありません。お店がおいしさを提案するのではなく、お客さんが今、一番食べたいものと向き合い、一緒に作り上げていく。それが未来食堂の一番のコンセプトなんです」
とはいえ、個人の要望に応えておかずを作ることは、決められたメニューを作るよりも非効率に思えるが…。
「そうでもありません。例えば決められたメニューであれば、一つ食材が足りなくなると買い出しが必要ですし、余れば捨てることにもなります。でもあつらえは、その時に冷蔵庫にある食材を使うことが前提ですから、食材が足りなくなることも、在庫になってしまうこともない。食材のロスが非常に少ない効率的なやり方であり、おまかせやおすすめよりも、ユーザー目線に立ったアプローチなんです。
もしもメニューがまったくなく、私が『何でも作ります』と宣言しても、変わった店だと思われ、あまり人は来ないでしょう。その点、あつらえという仕組みの背景には、定食というメニュー形態の隠れた扱いやすさというか、利点のようなものがあります。そもそも定食とは"メニューがあるようでない。ないようである"存在ですから。
例えば定食には、副菜の小鉢が付きますよね。これに何を盛りつけて出すかは基本的にこちらの自由ですし、よほど変なものでない限り、誰も『こんな小鉢出しやがって!』と怒りはしませんよね。あつらえとは多くの場合、小鉢を上手く使うことで実現されます。実は定食とは、ファジーな部分を残しているメニュー形態。小鉢というそのファジーさをカスタマイズに結びつけられるわけです」
ちなみに小林さんが考え、言語化した「あつらえ」という仕組みは「未来食堂」という名前にも象徴されている。「あつらえという一人ひとりと向き合う在り方は、今はまだ無いけれど今後きっと増えていくだろう」という思い(”まだ来ていない”)に、どこか懐かしいようなその趣きを、「食堂」という懐古的な言葉を重ねあわせて表現している。
小林さんが、あつらえという仕組みを考えた原点。その一つは自身の偏食だという。
「例えば大学1年の時は1年間、ざるそばとシリアルしか食べなかった。また、社会人になったばかりのころは、毎食ヨーグルトだけ。私は『これがおいしい』と思うものを、ずっと食べ続ける性格で…。
それが人を不安にさせるわけです。例えば誰かと一緒に食事をすると必ず『大丈夫? ちゃんと食べた方がいいよ』と言われてしまう。自分では”ふつう”と思っている事が人を心配させてしまう。そしてその心配が、妙な"その場にいづらい”感覚を生む。私はただ、一緒に食事をしたいだけなのに…。
そうではなく、それぞれの人が食べたいと思うものを一緒に食べられる場。その人が必要としているものが、分け隔てなく差し出される場を作りたい。あつらえというコンセプトを考えた背景には、そんな思いがありました」
そんな彼女は飲食店の経営者ながら「"おいしいもの"に興味はない」と言い切る。おいしいものに目がなく、おいしいものを探し求めてさすらうようなモチベーションは、いっさいない。
「おいしさとは文化ではあるけれど、消費をただ繰り返すような、どこか醜い一面があると思っています。だから私は『おいしいからお店に来て』とは誰にも決して言いません。そう言ってしまうと、お店側が”おいしさ”をアピールする従来の在り方とおなじになってしまうからです。また、例えばお米や食材の産地なども、いっさい口外しません。店側の”○○産だからおいしい”というプレゼンは、店側のおいしさを押し付けているわけです。それでは従来の飲食店と何も変わらない。」
彼女にとっての消費されるおいしさ。それを象徴する出来事が、以前に在職していた会社であった。
「その会社は社内にキッチンがあり、そこで社員が自炊するんです。ある時、女性二人がパスタランチを作り、きれいに盛り付けて食べていた。それを見た時『なんて貧しい食事なんだろう』という思いがぬぐえなかった。自分達だけのためにご飯を作り、自分達だけで食べる。それが凝ったものであるほど、貧しく思えてしまう。
その会社は非常に生産性が高い。つまり、すごく忙しいんです。そのため、ご飯を食べる時間がない人もたくさんいました。その事実に対して存在する、決して誰にも分けることができず、いっさい他者を寄せつけない盛りつけ感。それがとても悲しく思えました」
そんなランチの風景を垣間見、”誰もやっていないのなら自分がやるしかない”と、小林さんは入社してすぐのころから、多くの人に昼食をふるまっていた。大鍋で豚汁を作り、ご飯を炊き、それを書いたメニューを持ってフロア中を練り歩くと、多くの人が集まった。
「初めは、誰だこいつはという目で見られるのですが、最終的にはフロアにいる人の約半分が来て、部屋がいっぱいになりました。それが、普段会話することのない人達同士が出会う、いい機会になっていた。正直、そこまで人が集まったのは計算外でした。なぜなら豚汁もご飯も、ごく普通の味。終業時間前の限られた時間で作るから何一つ凝らなかったし、おかずすらろくにない。そんなメニューでしたから。
でも、その時に思ったんです。『この人達は、ただおいしさを求めて集まっているわけではない。食事はおいしさがすべてじゃない。食事には、おいしさとは別の存在意義がある』って。
正直今も、それが何なのか言語化できてはいません。多くの人が来てくれた理由も、今でもわかりません。
確かに子供のころから、将来何かしらのお店をやりたいとは思っていましたが、偏食だから飲食店はぜんぜん考えなかった。でも、この時にたくさんの人にご飯をふるまって思ったんです。自分にもできる飲食店があるんじゃないか、偏食だった自分だからこそできる飲食店があるんじゃないか、って」
第2回では、彼女が店を開こうと考えた原点、そしてエンジニアというキャリアから得たものについて、話を掘り下げていく。