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「ジーパン学長」がイノベーションを起こす!
2012年、大学の学長に就任した大谷さん。当時の八戸大には、どのようなストロングポイントがあったのだろう。
「何もなかったんですよ。正直、小さな売りや戦略すらなかった。そこでまず、校名を八戸大学から八戸学院大学に変える、という大胆なことをしました。
光星学院高という系列校をご存じですか? 高校野球の名門で、甲子園大会で史上初の3季連続の準優勝をしている強豪です。でも、この学校が同じ経営下にあることを、八戸市民ですら知らない人もいる。調査したところ、県内の67%、県外にいたっては96%が同じ系列だと思っていなかったそうです。
当時、光星学院高が3シーズン連続で甲子園に行っていたので、広告効果を試算してもらったところ、なんと67億円でした。つまり光星学院高は、67億円のCM効果を得ているわけです。でも、八戸大はその恩恵をまったく受けていない。由々しきことですよね。まずは、校名変更からやろう、と思い立ちました。最初は八戸学院大学と八戸学院高校にしようとしたら、案の定、様々な関係者から猛反対されました。同窓会、法人役員から教員、父母の会、PTAまで、みんなです。そもそも、いきなりやって来たお前は何者だ!? と(笑)。
ですから、数字できちんと説明し、一人一人にきちんと話しましたよ。『これからの学校は、自助努力をしないと生き延びていけません。このまま死んだ方がいいですか? 生き延びた方がいいですか?』と。
実はややこしいことに、高校である光星学院の方が歴史が長いんです。そこで『やるなら光星学院大学に』という意見もありました。でも、それには『その大学はどこにあるんですか? と必ず聞かれますよ。大学にとって一番のブランディングは、地名と紐付くことです』と反論しました。その結果、折衷案で『八戸学院大学』と『八戸学院光星高等学校』となり、光星の二文字は残りました。でも校名変更と統一ができた時点で、私はこの学長としての勝負には勝てる可能性があることをと確信しました。
確かに、校名変更は数千万円のお金がかかりました。でも、それぐらいなら安いものですよ。今年の春の選抜大会でも『八戸学院光星に校名が変わりました』と、NHKのアナウンサーが何十回も言ってくれました。それだけでも、投資した効果は十分あったと思います。大学が何もしなくても、八戸学院という名前を幾度となくマスコミが連呼してくれたわけですからね。」
そして校名変更をきっかけに、メディア戦略にも力を入れていった。
「『とにかく何でもいいからネタを作ろう』ということで、部活の紹介でも、ダメ元で新聞社に持ち込もうと。そして僕自身もデニム姿でマスコミに登場し『ジーパン学長』として認知してもらうように努めました。もう、ゲリラ戦ですよね(笑)。お金のかからない"ゲリラ広報"を、パプリシティを中心に進めていったわけです」
校名が変わったことで、地元の印象が変わった。メディアへの露出は学長になる以前と比べ、圧倒的に増えた。校名が変わったことのインパクトと、それ以降のマスコミ登場回数の増加により、八戸市民の八戸学院大への印象は劇的に変わった。そして他にも、ネット戦略を強化。いち早くFacebook上で学長改革日記を開始するとともに、Facebookアカウント取得を学生全員に促し、ソーシャルメディアの利点とリスクを学生に学ばせた。そして、部活動も改革に乗り出す。
「ウチで全国区の実力があるのは、硬式野球部と男子サッカー部のみ。この二つは全国から選手を獲ることができます。でも、レッドオーシャンなんですね。例えば野球でいえば東北福祉大や富士大学など、東北にもたくさんの強豪大学がある。そして全国的に見れば、さらに多くの名門大学がしのぎを削っている。その中でわれわれは戦っているわけです。
そんな、野球と男子サッカー頼みの状況から脱却するため、限られたリソースをより勝てる競技に割り当てようと考えました。具体的には、女子競技の強化ですね。まずは女子サッカー部。これは青森県初です。それと女子駅伝チーム。そして女子だけではありませんが地域優位性のあるスピードスケート部、そして自転車競技部を復活させました。
まさに、一点突破の女子戦略ですね。僕の一貫した基本戦略は、なるべくお金がかからずに効果が出るものを、スピード感をもってやること。そして、戦う場所を選ぶこと。僕はマーケティング戦略とは、①戦う場所をどう選ぶか②そこでどう戦うか、の二つだけだと思っています。そして、そこに適切なメッセージをどう投げ込むか。ターゲットと投げ込み方によって、媒体は変わっていきます。これが戦術です。」
一見、大学にとってのクライアントとは学生であるように思える。しかし大谷さんは「いいえ。そうではありません」と断言する。
「顧客は親。特にお母さんです。最も子供とよく接していて、影響力を持っているのは母親です。財布はお父さんのものかもしれませんが、子供と進路を話し合う時間を主に持っていのはお母さん。母親がうんと言わないと、高校生が進学先を決めることはありません。ですから、お母さんに学校に来ていただく機会をなるべく作る。例えばオープンキャンパスで学長室に招待して握手作戦をしたり(笑)と、できる限り私が直接会うことを心がけています。
また学生と母親の双方に対するケアとして、入学した学生さんと僕でツーショット写真を撮り、ご家族に手紙を添えて送っています。撮影の際、フルネームとなりたい職業や夢を書いた紙を掲げてもらい、お母さんに、例えば『娘さんの夢を共有させていただきました』というような、手書きのレターを添えて送るわけです。出身高校の校長先生宛にも、同様のものを送っていますね。原始的でアナログなやり方ですが、効果は非常に高いです。
これらは都心のマンモス大学では、やりたくても決してできません。八戸学院大は1学年140人、4学年で500名程度。短大の500人と合わせても1000人ほどの小さなレベル。だからこそ、できることです。何せ私は、学生全員の名前がわかりますからね。学生も、この大学は高校の延長のように自分のことを理解してくれている、と思っているはず。小さい大学だからこその面倒見のよさは十分、優位性となり得るんです」
そんな八戸学院大の名物講義が「起業家養成講座」だ。学長になる前の2009年から始めたこの授業において、大谷さんは講師として自ら教鞭を執る。
次回はこの内容について、深く掘り下げていく。