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『これ、なんかいいじゃん!』と言ってもらう
ガラスとは思えぬほどの繊細な口当たりと、引き算による造形美で人気となった「うすはり」シリーズのグラス。作っている松徳硝子は、東京・墨田区にある、決して大きいとはいえない町工場。彼らが考える"生き残り戦略"とは? 独特のユニークな発想と行動力で同社を引っ張る、クリエイティブディレクターの齊藤能史さんにお話をうかがった。
文=前田成彦(Office221) 写真(一部)=武石佑太(スタジオウッス)
墨田区の錦糸町駅からほど近く。下町のビル街の一角にある工場では、今日も職人が汗水たらしてガラスを吹く。
創業91年。もともとは電球用ガラスの生産工場として生まれた松徳硝子はその後、電球で培った薄吹きの製法を応用したグラスの製造にシフト。平成元年にリリースした「うすはり」シリーズのグラスは、繊細な口当たりと引き算による造形美で代表的なヒット作となった。今回お話をうかがった齊藤能史さんは、そんな松徳硝子で商品企画からデザイン、広報を手がける取締役である。
「モノづくりで大事なのはまず、造形美と機能美。造形がすごいだけでは、飽きがきたり使いづらかったりで、一生使ってはもらえない。機能美だけを追及しても、どこか味気ないよね、となってしまう。そこのバランスが重要です。そしてもう一つ大事なのが"素材美"。中に入れたお酒の色が見えるのは、焼物や漆器にはない、ガラスならではの素材美です。これをいかに魅力的に表現するかを追求していきたいと考えています」
とはいえ今、日本のモノ作りを取り巻く環境は決して良好ではない。松徳硝子も然り。30~40年前に100社以上あったガラス工場が、今は10社もない。そんな状況の中、彼らも苦戦を強いられている。
「つまり僕らは、手作りガラス製造という衰退産業の生き残りなんです。じゃあ、何ができるか。何をすべきか。例えば、コップは今、100円ショップで手に入れることができる。でも、僕らの作るグラスは1500円~2000円近くする。その値段には、職人が手間をかけて作ったという理由がある。ただ、値段以上の魅力がなければ、人はモノを買ってくれない。とにかくその魅力を追求しよう! というのが、僕らの原点となる姿勢です」
では、東京の下町にある小さなガラス工場が生き残っていくためには、どうすればいいのか。齊藤さんは「いいものを作るのは当たり前。しっかりと儲けることです」と言い切る。
「日本のもの作りが衰退した理由は明らか。儲からないからです。日本では、儲ける人=悪い人。職人はひたむきな姿勢で物を作り続けるべきだ、という考えがどこかにあるんじゃないか? って。それじゃ、ダメなんです。
町工場の社長さんや奥さんが、息子に『こんな仕事儲からないから、あんたは大学出て、立派な会社に就職しなさい』なんて言ってるから、おかしくなったんですよ。誇りを持とうよ! しっかりいいモノ作って、儲けさせてもらおうよ! って。いい仕事をして、見合う値段で買っていただいて、いい車に乗って、いい酒飲んで、いいおねーさんと遊ぶ。ベタな思考だけど、シンプルですよね。それを見て憧れて、外からさらにいい人材が集まる。結果、クオリティも上がる。そうすれば、みんなハッピーですよ。だからこそ、堂々と儲けなきゃいけない。伝統や技術を継承しつつも、新たに魅力のある製品をバンバン作っていく。それしか方法はないんですよ。僕らは工場であって、作家集団でもない。どれだけクオリティの高いモノを数作り、ジャストプライスで買っていただけるか。勝負はそこだけです。
よく『景気が悪い』『予算がない』とぼやく人がいますが、しょうがないじゃん、と思いますね。みんな誰かのせいにしたいし、それは簡単なこと。そうじゃない。ぼやいて儲かるなら、自分、めちゃくちゃ口悪いですから、バンバンぼやきますよ。景気が悪かろうが、これは絶対ほしい! と思っていただけるものを作るしかないんです」
多くの同業者が消えていく中、松徳硝子がまだまだ元気でいられるのはなぜだろう。手作りであることに決して甘えない、徹底したユーザー目線のスタンスも、理由の一つに違いない。
「僕らは個体差を説明する時に『手作りの味です』と決して言いたくない。企画通り作り上げようと思っているわけですから、開き直って『これが味です!』と言い切ってしまったら、そこで成長が止まってしまう。手作りということを、必要以上に持ち上げられたくない。だから、"ヘタウマ"”ほっこり”なんて言葉、大嫌いです(笑)。
僕らは、手作りだから評価されるとは思っていません。僕自身も家で、デュラレックスのコップも時には愛用していますよ。ハンドメイドだからいい、マシンメイドだからダメ、そんなもんじゃないと思います。要は、楽しく飲めれば何でもいい(笑)。こういうと驚かれるんですが。蕎麦猪口でワインを飲もうと、おいしいと感じてもらえれたらそれでいい。本来、とても自由な世界なんですよ。
『見る人が見ればわかる』なんて言いますが、僕らはマニアの方だけを相手に商売をしているわけじゃない。『手作りだからありがたい』というのは一部のクラフト好きの方の考えで、マニアじゃなくても、お客さんには、本当にいいものは感覚的にわかっていただけると信じています。だから一番うれしいのが、器に特別に興味のなかった人が『これ、なんかいいよね』『このグラスで酒飲んだらうまそう』と言ってくれることです。僕らは器に興味を持っていただき、器を選ぶ楽しみ、使う楽しさをもっと多くの人に知ってほしい。ぼろくなっても大切に使い続けてもらえるものを、仲間と一緒に作っていきたいんです」
そう語る齊藤さん自身はデザイン畑の出身で、ガラス職人としての経験はない。だからこそ、松徳硝子のモノ作りを一歩引いた客観的なスタンスで見ることができるのだろう。
「仮にここが潰れたら、ガラス屋はもうやりませんよ(笑)。僕は"ガラスおたく"じゃないんで。僕は特別にガラスがという素材が好きなわけじゃない。松徳硝子が好きで、作っている仲間が好き。うまい料理とうまい酒、そしてそれを楽しむ器が大好き。それだけなんです」