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おいしいと思う日本酒を、全国の蔵で少量ずつ造る
「日本酒応援団」は、わが国が誇る商品・文化である日本酒を応援する有志が集まって作った集まりだ。日本酒が大好き、という一心で立ち上げられたこの会社のミッションは、日本酒のあるライフスタイルをもっと広げ、日本酒が好きな人を世界中で増やし、地域の発展に貢献すること。今回は同社の代表取締役である古原忠直さんに、お話をうかがう。
写真=矢郷桃
日本酒応援団のスタートは、2014年の秋のことだった。私とあと2人、今の役員になっていってる3人は、もともと飲み友達だった。
「みんな日本酒が大好きで、10年来、いろいろな銘柄を飲んでいました。確かに大好きだけど、製法を詳しく知っているわけではありませんでした。飲み手としては玄人、造り手としては完全な素人です。
ある時に3人で飲んでいて『自分達でおいしい日本酒を造ってみようよ』という話になりまして…。飲みの席での話ですし、当時は事業にしようとは考えていませんでした。ただ単に、自分達が飲みたい日本酒を造りたい。そんなところから始まりました。純粋に消費者として日本酒が好きで、いろいろな銘柄を飲んでいくうちに思い立ったにすぎません」
メンバーの一人である竹下正彦さんの実家が、竹下本店という島根の小さな由緒ある蔵元だった。約1カ月半をかけて、1タンク分の無濾過生原酒を造った。
「実は地元の消費が落ちて造り手の高齢化が進み、竹下本店では14年ほど本格的な酒造りをしていませんでした。竹下の父親が蔵元の社長だったのですが、竹下本人は酒造りの経験はなく、東京で働いてました。そこで『お前の家の蔵を使って、少量でいいから造ってみよう』と。最初は本当に遊び感覚。我々が一番好きな「無ろ過生原酒」を造ることだけは、この時点から話して決まっていましたが、酔っ払っていたので、酒造りがどれだけ大変か、といった話は後回し(笑)。そろそろ冬なのですぐに始めよう、ということで、1週間後には島根に飛んでいました。
僕らはみんな、無濾過生原酒が大好きでした。でも造るのはすごく大変。少量ずつしか造れないし、手間もかかる。でも、とにかく一番好きなものを造りたいという一心で、以前にお酒を造っていた地元の方々などに教わりながらやってみました。まあ、僕らがしたのは本当にお手伝い程度でしたが、造ったのは最小単位の1タンクだけ。量産化も商業化も考えなかったので、楽しみながら手をかけて、丁寧に。すると結果的に、すごくおいしくできた。そこから次第に『これを全国に広げていこう』という思いが生まれてきました。
昔は地産地消というか、地元の方々が、自分達がおいしいと思うものを少量造り、それを地元で消費していたわけです。ですからこのスタイルを、全国のさまざまな蔵に展開し、小ロットで手仕込みの無濾過生原酒を造ってはどうかと。ここから本腰を入れて、しっかりとした持続性がある事業として、蔵がフル稼働できるところまで持っていこう、となりました」
初めて造ったお酒ができたのが2月。そして2カ月後には再び島根に飛び、地元の田んぼを借りて田植えをした。
「日本酒の原料は米と水。米はとても大事ですし、お酒ができるまでの全工程をちゃんと自分達で知ろうということで、まずは田植えから。誰も米作りの経験はありませんから、地元のベテランの農家の方に弟子入りして教わりました。機械を使わずすべて手で植えました。その時は、翌年もまた1タンクだけ造ろうと考えていたのですが、そこからいろいろ話していくうちに、これはもう本腰入れてやろう、と」
当時、古原さんを始めとして全員が仕事を持っていたが、ほどなくして決意を固め、非常勤の役員となる1人以外は全員退職。ともに酒造りを経験した3人とデザイナー1人で、日本酒応援団を立ち上げた。
「副業で始め、お金が入ってきたら徐々に本業にしていこう、という考えはありませんでした。まったくの売り上げゼロから全力コミットしてやろうと。イケる確信があったといえばあったし、なかったといえばなかった。ただし、もともと飲み手としての経験が長かったし、それなりの問題意識も持っていた。酒造りについては素人ですが、消費者としてはベテランですので、それなりの自信もありましたかね(笑)。その年の冬からの酒造りに備え、準備を始めました。
11月から酒造りを始めたのですが、実はその直前に、島根で酒造りを教えて下さった方が体調を崩してしまった。どうしようかと思っていたら、たまたま岩手の南部杜氏(※岩手県を拠点とする、日本の代表的杜氏集団の一つ)の方と知り合うご縁がありまして。『若者がこうやって頑張ってるなら俺が教えてやる』と、島根に来て指導をして下さったのです。これは非常にありがたかった。こうしてできたのが『KAKEYA』です」
島根での酒造りと並行して、二つ目の蔵との取り組みを開始した。
「日本酒応援団を法人化する直前ぐらいに、二つ目のパートナーである石川県の数馬酒造さんから、知人を介して『ウチでお酒を造ってみないか』とご連絡をいただきました。数馬酒造さんは竹下本店とは違って、酒造りを辞めているようなことはありません。24歳で蔵を継いだ社長さんが、地元の田んぼとして使えなくなった耕作放棄地をゼロにしつつ、地元の米とお酒を世界中に出していこう、という取り組みをされていて、そちらでも無濾過生原酒を造らせていただきました。これが二つ目の銘柄『NOTO』です」
日本酒応援団が出す銘柄の特徴が、どれも地元の町の名前をつけることだ。
「会社名の日本酒応援団も、竹下も古原も入れません。正直、消費者からすれば、情報って地名ぐらいでいい。地元への感謝の気持ちと、島根県の掛合町で、石川県の能登で造った無濾過生原酒であることを表しています。例えばワインなら『ブルゴーニュの赤』とか『ナパバレーのシャルドネ』とか、由来がはっきりわかることは重要だと思います。やはり地元の食文化がありますから。
例えばKAKEYAは島根の山あいので造っているのですが、あの辺りは例えば塩辛とか、塩分の強めな保存食をよく食べる。だから、しっかりした辛口のお酒が多い。逆にNOTOを造っているのは港町。のどぐろやブリ、イカといった地元の魚介を食べるので、刺し身の味を邪魔しない、すっきりと飲みやすいお酒がいい。この二つは同じ純米・無濾過生原酒でも、まったく味わいが違います。やっぱりお酒って単体で飲むものではなく、食事と合わせて楽しむもの。自然と地元の食事に合う味になる。それが面白いところですね。土地の味が自然とできていくわけです」
次回Part.3では、日本酒応援団の海外展開について、話を掘り下げていく。