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出会いを大切にして、「人」を面白がる好奇心を持つ
平田さんが特に大切にしているのが、好奇心。特に人との出会いには気を配る。どんな人にも丁寧に対応し、決して流さない。実は、昔から決めているルールがあるという。
「特に扶桑社時代によくあったのですが、編集部には、持ち込み企画や『原稿を読んでほしい』といった依頼の電話が、ガンガンかかってきます。多くの場合、『原稿や企画書を郵送してください』と伝え、実際はほとんど見ることができません。見たとしても、さらっと目を通して『案の定、大したことないな』で終わりです。
でも私はそういうことをせず、必ずその方と会うように心がけてました。ほとんどの方に『では、来てください』と言い、実際に面談して企画の意図を伺ったりしました。
もちろん、面白くない企画も原稿もたくさんあります。でもまずは目を通し、その人について、いろいろなことを聞いていく。そのうちに、例えば『あなたのしているその仕事、面白いわね』というように、別の糸口が出てくるわけです。企画書や原稿の内容と関係なく、その人の仕事が面白かったり、あるいは在りようがおかしかったりする。どんな人でも、必ず何かしらそういう要素がある。それを探すわけです。だって人は、ネタの宝庫ですから(笑)。
例えば、大橋禅太郎さんの『すごいやり方』という本も、持ち込みから生まれました。彼が私に電話をしてきて『編集長の平田さんですか? 面白い会議のメソッドがあるので会ってくれませんか?』ということで、来ていただいたことが始まりです。大橋さんの話がすごく面白くて『じゃあ、本にしましょう』と話がとんとん拍子に進んでいきました。彼のその後の大活躍はご存じの通りですよね」
一人一人との出会いを大切にして、「人」を面白がる好奇心を持つことが大切だと、平田さんは語る。では、彼女は出会った人のどこに着目しているのか。
「やはり、その人の持つ強みでしょうね。その人には素晴らしいよさがあるのに、本人がそれに気づいていないことは、よくあります。面白い人ほど、意外なほど自分が見えていなかったり…。第三者だからこそ『それ、いいじゃない!』と言える。そして面白い話を拾っては『これじゃなくて、こっちにしませんか?』と提案するわけです。
誰でも、自分のよさをもう一度見直してみるべきだと思います。どんな人でも、絶対に一つは面白い何かや強みがある。それは必ずしも、その人がやりたいと思っていることではないかもしれない。でもそれを生かすことが、成功への近道になるのです」
彼女の考え方のベースにあるもの。それは「人に喜んでもらいたい」という思いだ。
「この人がうれしくなるには、どんなことをすればいいのだろう。どうすれば喜んでもらえるのだろう。それを考えることも自分自身がワクワクしますね」
「人が喜んでくれることが自分の喜びになる」その気持ちに気づいたのは、短大を卒業後に入社したフジテレビ時代のことだ。当時のテレビ業界は男性社会。女性の仕事はお茶出し、コピーなどの事務仕事だった。
「お茶を入れる時、ある人は濃いお茶が好き、ある人は熱いお茶が好き、というように、好みがあるのは、毎日接していればわかること。そこで、私は毎日、それぞれの好みに合わせてお茶を入れていました。すると、職場の上司や仲間が『ありがとう』『おいしいね』と喜んでくれて、心からうれしい気持ちになりました。
私には、見返りを求めるような気持ちは決してありませんでした。でも、そうした日々の中で、人が感動してくれたり喜んでくれたり、人の助けになれた時に、何より自分がうれしさを感じるということに気づいたのです。人に喜んでもらうことには、人間としての根源的な喜びや存在意義を感じるのでしょうね。
それを踏まえて思うのが、仕事の中に自分なりの喜びや楽しみを見つけてはどうか、ということ。『好きな仕事をしたい』という考えもいいですが、好きな仕事に就いても、常に楽しく幸せな気分でいられる人は少ないものです。仕事には苦しみや辛さもたくさんあります。しかしその中に喜びや楽しさをみつける。それが仕事を『好き』になる秘訣かもしれません」
フジテレビに入社したばかりのころは、キャリア志向も野心もまったくなかった。しかし、そんな平田さんは徐々に変わっていく。結婚・出産・離婚を経て、35歳の時には、グループ会社の扶桑社への出向を命じられた。この経験が、仕事をより面白く思えるきっかけとなる。
「出向といっても、気分は単なる人事異動。フラットな気持ちで行きました。当時は意識していませんでしたが、この出向が大きな転機になった気がします。宣伝部に配属されたのですが、初めて現場らしい仕事を与えられて、モチベーションが上がりました」
そして42歳で、書籍編集部の編集長に抜擢された彼女は、そこから目覚ましい活躍を見せていく。
次号Part.3では、彼女の編集長そして出版プロデューサーとしての活躍ぶりにフォーカスする。
短大卒業後、1969にフジテレビ入社。管理部門を経て’84年扶桑社に出向。宣伝部を経て書籍編集部の編集長となり『アメリカインディアンの教え』など数々のヒット作を生み出す。その後、雑誌『CAZ』編集長、書籍編集部部長を経て執行役員、取締役、常務取締役などを歴任。
’00年には累計400万部の大ヒット作となった『チーズはどこに消えた?』をプロデュースした。
’07年には秋元康さんの『象の背中』の出版をプロデュースし、映画版のエグゼクティブプロデューサーも務める。
2010年に27年間の出向を終え、フジテレビを退職。
自らの会社ヒラタワークスを設立。出版を中心にさまざまなプロデュースを手がけつつ、2016年夏、株式会社サニーサイドアップキャリア代表取締役就任。
※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです