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キャリアから学んだ「プロデュース型不動産事業」
「環境に配慮したプロデュースをする。という前提で不動産開発やリノベーション、コンバージョン、街作りを行っていく。そのためにはハードだけでなく、ソフトも必要。つまりデザインだけでなく、コンテンツ、オペレーションが重要である」。関口さんの根っこにある考え方を作ったのが、これまでのキャリアだ。それは大学卒業後、まずは財閥系大手不動産会社に就職したところからスタートする。
「安定していて、毎日9時に出社して18時に帰る生活でした。ヒマなんですよね。そして上司や先輩を見ていると、自分の5年先、10年先が見えてしまうんです。エスカレーター式に昇進して、これぐらいの年齢になったらこんな人と結婚して、こういう家に住んで、ゴルフやって…というように、先が見えてしまった。そこでつまらなくなり、4年半で退職しました」
その後、3年ほど迷いの時を過ごす。そのうち1年は、ある会社で不動産サイトの立ち上げと広告営業をしていた。
「当時はインターネットの黎明期。ビジネスモデルらしきことをちょっと言えば資金調達ができ、赤字でも上場しちゃう。そんな雰囲気があり『いい時代じゃん』なんて甘く考えていた。そして漠然と『今まで培った不動産スキルにネットをかけ合わせたら何かできそうだ』という淡い思いで入社。そして、実際に淡かったんですね。やってみると、何があるわけでもないという虚無感があった。虚業ですよ。実感がないというか、誰が喜んでくれるのか、顔が見えない。
その会社は結局、母体がコケて不動産事業から撤退してしまいました。そこでもう一度考えたんです。やはり仕事をした結果、喜んでくれる人の顔が見たい。もう一度、不動産の仕事をやり直してみよう、と。かつて、大手でひと通りやり切った感はありました。とはいえ、たったの4年半です。意外とまだ一人前じゃない。だから原点回帰して、不動産の仕事を突き詰めることに決めました。
ただし、もう一度大手に就職するのは面白くない。そこで今度は、不動産関係で興味深いことをしている会社を探しました。その結果行き着いたのが、コーポラティブハウス事業を手がけている都市デザインシステム。そこで8年間、多くのことを学びました」
都市デザインシステムではコーディネーターとして、4年間でコーポラティブハウス事業を8プロジェクト手がけた。コーポラティブとは「共同して」という意味。分譲マンションは通常、でき上がった部屋を買うが、コーポラティブハウスはまず希望者で組合を組織。組合が土地を買い、建物を発注。最終的にそれぞれが自分達の部屋を自由に作る設計をして、家作りを進めていく。
「簡単に言えば、みんなで共同で家を建てる事業をコンサルティングする立場です。不動産を買うためにはどのような法律やファイナンスが必要か、といった資金調達や法律の調整から始めて、付加価値となり得るような建築家の選定、デザインの方向性の提案などをしながら、モノづくりをしていきます。
だいたい1棟が10~20部屋。クライアント=個人の10~20世帯なので、重要なのは、彼らの意思を具現化すること。僕がどうしたいかではなく、10~20のクライアントがどうしたいか。それをまとめて意思形成していくのが難しい。みんなまったく仕事も趣味も年齢も違うし、高い買い物ですから、わがままにもなる。
特に難しいのは共用部に関する決め事です。玄関をどうするか、外壁をどうするか、素材は何を使うか、といったことです。考えをまとめるには大きく分けて二つあって、自分達で決められることと、僕らみたいなコーディネーターに委ねることにきっちり分けていく。そしてこちらは確実で、大外ししないようなデザインの提案、デザイナーの選定をやっていくことが大事でした。あまり個性が強かったり自己主張の強いことをしても、クライアント全員の落としどころが必要になる。もちろん、そこの大外ししない見定めが僕らの大事な部分。そこはある程度、オーセンティックなものになっていきますよね」
コーポラティブハウス事業は順調に成長。その躍進とともに関口さんも社内で昇進。マネージャーとして、事業を束ねる立場になっていった。しかしそれと反比例して、心の中で「ある思い」が強くなっていった。
「コーポラティブハウスとは、クライアントの思いを形にする仕事。いつしか、その根本的な部分にストレスを感じ始めたんです。いいモノ作りをしていこうと考えるほど、根本的な考えと、自分がどうしたいのか、自分の思いをどう具現化するのか、という部分のせめぎ合いになる。そこで、ただクライアントが望むものだけを作ればいい、というのではダメだとわかったんです。
なぜならその時、コーポラティブハウスを手がけるコンペティターがすでに何社か表れていました。ゆえにこれからのコーポラティブハウスは、コーディネートの延長上にプロデュース機能を付け加える、つまりしっかりした企画を作らないと、必ずレッドオーシャンになる。ですからライフスタイルによってデザインを考えたコンセプト型のコーポラティブハウスであったりを、企画型で作っていくべき。もっと企画を考えよう、と掲げ始めました。
でも、ここは仕事に対する価値観の違いなんですね。30人ぐらいいたスタッフの大半は猛反対。お客さんには、自分の家をこうしたいという純粋な強い思いがある。それを忠実に形にしていくのがコーディネーターである、という従来の考えを僕は理解した上で、コンペティターの存在を意識しつつ、企画型の度合いをもっと強めるべきだと思っていました。
そうこうしていくうちに、スタッフとの間に溝ができてしまいました。そして僕は、人事異動でコーポラティブハウスから離れました。これは、自分の中でも必然でした。そのタイミングで思ったのは、自分がやるのはコーポラティブハウス事業ではなく、コーポラティブハウスで得たものに基づいた、プロデュース型の不動産事業である、ということ。そこで僕は次のフェーズに入り、新しい事業モデルを模索していきます。
それが今の僕の仕事につながる大きなきっかけにもなるんですが、不動産はハードだけでなく、ソフトも重要。住宅でもリゾートであってもオフィスであっても、プロデュースに価値を見出せる不動産ビジネスを作り上げよう、ということでチャレンジしたのが、CRE=コーポレイト リアル エステートという、企業が所有している不動産の有効活用でした」
1972 年5月10日東京都出身。大学を卒業後、財閥系不動産会社勤務を経て、都市デザインシステムにてコーポラティブハウス事業のコーディネーターとして多くの プロジェクトに携わり、その後、鎌倉の七里ヶ浜にある複合施設「WEEKEND HOUSE ALLEY」全体のプロデュースを行う。
2008年3月に株式会社THINK GREEN PRODUCEを設立。以降、東京都港区海岸にあるクリエイティブスポット「TABLOID」を始め、「MIRROR」「THE TERMINAL」「THE SCAPE(R)」「ANIMA」「GREEN SMOOTHIE STAND」、2012年10月には、鎌倉の複合施設「GARDEN HOUSE」をプロデュース。
建築物の他、ファッションやフードなど、さまざまなジャンルでのプロデュース、ブランディング、オペレーションを行う。
※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです