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店とお客さんとの間に、お金以外の何かを介在させたい
未来食堂には、前回紹介した「あつらえ」の他に「まかない」という独自のシステムがある。これは、店の手伝いを50分間すると1食が無料になる、というものだ。
「普通に考えれば、お店に来てもらう=お金を払ってもらうこと。確かに来てもらえるだけでうれしいですが、ビジネスでもありますので、お金はいただかねばなりません。だから『来て下さい』とは、どこか言いづらい。相手にお金を要求しているのと同じだと、自分は感じてしまうのです。
じゃあどうすればいいんだろう。どうすれば手放しに『来て下さい』と言える仕組みを作れるだろうと考えました。そこで出てきた答えは、お客さんとの間にお金以外の何かを介在させれば良いということ。お金ではなく労力を払う『まかない』という選択肢を作ることで、気兼ねなく人を巻き込むことが出来るようになりました。「お店に来てよ」よりも「まかないしにきてよ」の方が自分にとってずっと言いやすい。相手をお金として見るのではなくて、仲間として見ているのですから。
例えば、1人暮らしの学生さんには価値を感じていただけると思います。また将来、お店を持ちたい人にとっては、勉強になるかもしれない。そしてもう一つ。例えば今、休職中であったりとか、さまざまな事情で自分の居場所がない人にとっての、大切な場所になるかもしれない。例えば『ここだと誰かと一緒にいられる。頑張れる』というような場所ですね。
今、まかないをやってくれている方にもそう考えているケースがある気がしますし、そのような方は今後きっと増える。まかないが、彼らにとってのセーフティネットであってほしい。私の中には、そんな思いがあります」
そしてこのシステムからは、既存の飲食店が抱える働き方の問題点も垣間見えてくる。
「店を立ち上げる前に、弁当店や大手飲食チェーンなどさまざまな所で修業しました。その中でも、老舗の店ほど『1年ぐらいの経験じゃ使い物にならない』と言う。それは正直、あまりいい考えとは思えません。すべてが遅すぎるし、あまりに時間がもったいない。3年経ってようやく、ご飯を弁当容器によそうことができる…それでは遅い。
今の時代、働き方は多様です。クラウドソーシングのように、例えば5分で10円、といった、短い時間で成果を上げていく働き方も、今はある。でも飲食業は、いつになっても働き方が昔のまま。まかないは短い時間を切り売りするという意味で、飲食業におけるクラウドソーシングなのです。
ですから、単なるPR目的やボランティアではダメ。やるからには、しっかりと働いていただきますし、成果も出してもらいます。たった50分間の参加で成果を出せるとしたら、年月が重視される飲食業界のなかで、逆にすごいことだと思いませんか」
小林さんはなぜ「居場所」にこだわるのか。その理由となったいくつかの経験がある。まずは、彼女がお店に興味を持った原点から紐解いていく。
「子供のころから本が好きで、15歳のころ、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読むため、生まれて初めて一人で喫茶店に入ったことがあるんです。その時に覚えた感覚は、何とも新鮮なものでした。
当時は中学3年生ですから、居場所は自宅と学校だけ。そう思っていました。でも、そのどちらでもない場所、今で言う"サードプレイス"にいる、何者でもない自分。その存在がとにかく新鮮で…。そして『こういう場所を作りたい。いつか作るんだろう』という思いが、自分の中でストンと落ちた。読んでいる本の話ができる、学校とは違う自分の場所がほしい。そう思いました」
そして、進学校で過ごした高校時代。彼女は進路に悩み、2カ月間、家出をしたことがある。その時の経験が、今の考えの土台になった。
「普通なら受験勉強で忙しくなる、高3の9月のことでした。ふと『勉強って何なんだろう? 大学に進学することの意味は何なんだろう?』という疑問にかられ、家出をしてしまったんです。高校の時は『この世に”救い”あるのだろうか』という問いに答えを見つけたくて、文系で宗教哲学を学ぶべく進路を決めていた。でもそれは大学に行かないと学べないことなのか、進学して先延ばしにするのではなく、今その答えを見つけることも出来るかもしれない。そう悩み、受験に追い立てられる環境から全てをリセットして答えを探しに行ったのです。
なけなしのお金を握り締め、ボストンバッグ一つで東京に行きました。街角、池袋のサンシャインシティに向かう大通りなんかで座り込んでいると不安で仕方なくて『誰でもいいから話しかけてほしい』と思いました。でも、当然だけれど、誰も話しかけてくれなかった。この世に自分が一人ぼっち。それは、身を切られるほどつらかった」
その後、どうにかこうにか仕事を見つけ一人暮らしを始めた。そしてある時、職場の人達とご飯を食べる機会があった。
「チェーン店のから揚げ弁当でした。何も気力も食欲もなくて、仕事先の人達が注文するのに適当に合わせただけ。弁当が届き、みんなで『いただきます』と言った瞬間、思ったんです。『ああ、これなんだ』って。
気持ちが爆発して、何かが吹っ切れた。真っ暗だった気持ちが瓦解し、隠していたけれど涙が止まらなかった。『ああ、この世の中には救いがあるんだ』と、只々その衝撃のような気づきがありました。
この時、実感したこと。言語化出来る今からするとそれは、人と人の間には触媒がある、ということでした。触媒とは、変化を加速させる物質です。その時、私は絶望の淵にいました。そして『いただきます』と言った人も、別に、私を励まそうとなんて思っていない。もしかすると『ああ、だるい』と思いながら、何となく言葉を発しているのかもしれない。
その温度差を起こしうるものこそが触媒であり、
人と人との間には、ものすごく尊いものがある。“救い”は、ある。それがわかったその瞬間、私は家に電話をして、親に『帰ります』と伝えました。家を出てからちょうど2ヶ月が経った夜でした。
独りぼっちはつらいものです。だから私もそういう人がいたら、どうにかしてあげたい。なんとかしたい。もし誰かがあの時の自分と同じ思いをしていたら、同じ気持ちに決してさせたくない。そんな人間はこの世の中に一人もいちゃいけない。そんな悲しいことはだめなんです。その気持ちが、まかないという考えにつながっています。もちろん、まかないには経済的なメリットもあります。でも、それが目的では決してありません」
Part.3では、店を立ち上げる直接的なきっかけとなったクックパッドでの経験、そして多彩な発想の原点について、さらに深く掘り下げていく。