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もう一度学び直し、自分をアップデートする
国内シェア1位のクラウド会計ソフトfreeeなどを展開するfreee株式会社。2012年の創業以来、着実な成長を続ける同社のCMOが川西康之さんだ。学生時代に起業し、経営者として10年あまりのキャリアを持っていた川西さんは、freeeをどう変えていこうとしているのか。そして同社の大きな強みである綿密な情報共有のノウハウと、フラットな組織を支える大切な価値基準のあり方について、話を聞いた。
写真=矢郷桃
元経営者という異例の肩書を持つ川西さんは、東京大学在学中の22歳で、ウェブマーケティング会社を起業。以後12年間、経営者として腕を振るった。
「僕は学生時代、Business Contest KINGという学生のためのビジネスコンテストの運営団体の代表をしていて、周りには今も経営者として活躍している人物が何人もいました。例えば僕の3年上の代表はユーグレナ代表の出雲充さんですし、後輩にはRaksul代表の松本恭攝氏、クラウドワークス副社長の成田修造氏といったメンバーがいました。そんなコミュニティだったので、起業はいたって自然なことだったといえます」
大学の先輩が代表を務める会社にインターンで入り、その会社の新規事業でマーケティングをかじったことをきっかけに、大学4年の時、自らの会社を立ち上げた。
「SEO対策やリスティング広告の制作、サイト構築から集客支援まで、クライアントのマーケティングの受託運用をメインに行う会社です。当時はSEO対策をちゃんとできる人は少なかったし、リスティング広告を使って集客してセールスにつなげるという、今では当たり前のことができる人がほとんどいなかった。じゃあこれをそのままビジネスにしよう、と考えたわけです。
当時はもちろん一人で起業家としてやって行くつもりでした。僕が会社を作った2005年6月は、いわゆる第二次ITバブルの時代。いわゆる"ヒルズ族"の全盛期でした。自分も彼らのように世の中に大きなインパクトを残す起業家になりたい。いつかは六本木ヒルズにオフィスを構えるぞ、という気持ちでした。
仕事は実践あるのみ。『こういうことをやりたいんだけど、できますか?』とお客さんに聞かれては、半分ハッタリで『はい。できると思います』と答える。そして会社に戻り『どうしよう…できるかな?』と悩む。そしてどうにか形にしたら、それを他のクライアントに横展開する。その繰り返しでしたね。今思えば、決して効率のいい学び方ではなかった気もしますが」
そんな日々の中、多くの出会いが川西さんを成長させていく。
「中でも大きな影響を受けたのが、学生時代の先輩であり、現fact-real代表の金田喜人さん。経営という観点で最も大きなインパクトを受けた方です。すごいと思ったのが、人との向き合い方。問題や課題が生まれた時、その理由が個人にあるとは考えず、周辺をしっかり見る。そして、どうしてそうなったのか、という構造や経営体制をしっかりと見て、適切な行動が取られていない理由を探し、それを正す。それが経営者の仕事である。そんな考えを厳しく叩き込まれました。その一方ですごく優しい方で、何もわからない学生時代にチャットツールを使って明け方まで相談に乗っていただいたりと、本当にお世話になりました。
また直接お会いしたことはないのですが、マーケティングに対する考え方において最も影響を受けたのが神田昌典さんの書籍です。B to Bマーケティングの面白さを知ったのは、神田さんの本の影響がめちゃくちゃ大きい。今も自分の考え方の大切なベースになっていますね」
がむしゃらに努力を重ね、気づけば20代が終わろうとしていた。多くのスタートアップが5年もたずに消えていく中、会社の経営は安定。時間とお金の余裕が生まれた。だがその一方、そこはかとない不安にさいなまれていく。
「会社は安定しているとはいえ、結局まだ受託の立場を出なかった。そして自分の考えで経営していると結局、最大30~40人規模が限界。それ以上大きくなると途端に効率が悪くなり、組織経営が難しくなる。その繰り返しで、会社をもっと大きくしようという気が起きなくなってしまった。
こうすればこうなる、というのがおおむね見えている反面、そこから先に何をどうすべきかは、まったく見えない。そんな状況でした。そして違うビジネスをやろうとか別の会社もやろうとか試行錯誤しても、なかなか上手くいかない。働き盛りの20代後半から30代にかけて、自分はどうすればいいのだろうかと、悶々と思っていました。これはもう完全に、僕の経営者としての能力不足だと思いました」
そこに追い打ちをかけるように、学生時代の後輩達が起業し、活躍し始めた。これが、キャリアチェンジへのトリガーとなる。
「僕からすると、彼らは決してリーダーではありませんでした。正直、僕のイメージする『経営者=カリスマ』というリーダー像とは、かけ離れていたわけです。ところがあれよあれよという間に、彼らの方が僕より活躍していた。こういうことは結果がすべてですから、正しいのは完全に彼ら。
自己認識や経営に対する考え方、時代へのフィット度合いでいえば、明らかに僕が時代からずれているし、30歳にして経営者として古くなっている。これは何か新しい刺激を入れて、すべてをガラッと変えなきゃいけない。もう一度勉強し直して自分をアップデートし、時代にフィットさせなきゃいけない。そうしないと、これ以上大きくなれない。そう考え始めました」
では、どうしたものか。32歳の時に考えたのが、freeeへの転職という思い切ったキャリアチェンジだった。
「どこの会社に入れば自分は変われるのか。それを考えた時、真っ先に浮かんだのがfreeeでした。なぜかというと、もともと自分の会社でfreeeを使っていて、よさを実感していたからです。それまでは会社の経理は丸投げ状態で、会計についての理解は正直、低かった。でもfreeeを導入したことで、当時の会計士さんとのコミュニケーションが一変した。これは、すごいなと実感しました。
また、freeeが作っている『経営ハッカー』というオウンドメディアは、すごくしっかりとSEO対策がされているし、経営者向けメディアとして圧倒的なプレゼンスがあった。それも衝撃的でしたね。『この会社、マーケティングも超イケてる…』と。
会社をよく調べてみると freeeは自分達らしいやり方で社会に価値を提供しようとしていて、そこにどこかポップな感じがあった。真面目にいいことをしようとしているけれど、決して堅苦しくはなく、カジュアルで明るく、かつ楽しそうだった。そして思いました。この会社は明らかに、自分にはまったくないものを持っている。自分に欠けているものがここにある。それがはっきりとわかり『修行するならfreeeだ』と、中途採用に応募したわけです」
では、川西さんが感じたfreeeの魅力の根源はどこにあるのか。次回Part.3では、freeeという会社が大切にする5つの価値基準について、話を掘り下げていく。