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いつも同じ場所にいる「イケメンで、オシャレで、面白い兄ちゃん」

長谷川 裕也 はせがわ ゆうや さん (株)BOOT BLACK JAPAN 代表取締役

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Part.2

 

■顧客に鍛えられ、ビジネス街の路上で腕を上げる。

 

 長谷川さんの今に至る原点。それは20歳のころにある。高校卒業後、まずは一般企業に就職。半年ほど働いてから転職し、フルコミッションの営業の仕事を始めた。しかし最年少役職者になったものの、働きすぎがたたって体調を崩し、退職。次の就職先を探しているうちに、手持ちのお金が尽きてしまう。

 

「僕はもともと、自分の靴をハンドクリームで磨いていたんです。合皮の靴を履いていたので、よく光るんですよ。その感動は確かにあったのですが、かといって、20歳の無一文が『路上で靴磨きをやってみよう!』と思った理由にはなっていませんね。

正直、単に『日銭を稼ぎたい』という気持ちだけでした。しかも当時、今後も靴磨きでやっていこうなんて、まったく考えていませんでした。『その日のうちにお金を得られる商売って何だろう?』と考えた時に思いついたのが、マッサージと靴磨きを路上ですること。二つのどっちにしよう? と考えた時、何となく、東京には靴磨き職人が路上にいるイメージがあり、靴磨きを選んだ。それだけなんです。

そして、100円ショップで靴磨きセットを購入。友人と一緒に丸の内の路上で靴磨きをやってみたら、思った以上に売り上げがあった。当時、引っ越しのアルバイトが日給7000円でしたが、同じだけ稼ぐことができたんです。思いつきで始めたような商売で、普通のアルバイトと同額を稼げた。それがとてもうれしくて

 

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路上で靴磨きを始めて間もなく、長谷川さんは洋服店に転職。しかし、路上での靴磨きは辞めずに、仕事と並行して続けた。日銭を稼ぐ必要はなくなったのに、靴磨きを続けた理由。それは単純に「面白かったから」だけではない。

 

「お客さんが、興味をひかれる方達ばかりで…。丸の内という場所柄、ビジネスマンと経営者の方がよく来て下さったんです。当時から社長になるのが夢だったので、20歳の田舎者の僕からすると、ビジネスの話を聞かせていただけることがとても新鮮でした。また、以前に営業職だったころ、年長の方へのプレゼンテーションが苦手だったこともありますね。洋服店でも4050代の方が多くいらして下さっていたので、いい接客の訓練になるとも思っていました。それが、路上で靴磨きを続けた理由ですね」

 

靴磨きを始めたころは当然ながら、現在のような技術など持ち合わせていなかった。それどころか、自分が靴磨き職人として上手いのか下手なのか、という認識すらなかった。そんな長谷川さんはあるきっかけを経て、靴磨きの技術の深遠さに気づくことになる。

 

「ある時、お客さんに『お前は下手くそだから、他の靴磨き店を見て勉強してこい』と言われてしまったんです。僕はただお金を稼ぎたくて靴磨きをやっていたので、他の職人さんがやっていることに関心がなかった。そこで、同じ丸の内の路上にいる職人さんのやり方を見に行きました。すると、遠くから見ても明らかにわかるぐらい、ピカピカに光っているんです。近づいて見て見ると、KIWI(キィウイ)という昔からあるワックスに水をちょんちょんと付けて、伸ばしながら磨いている。そのようすを見て、初めて『ああ、靴磨きって奥が深いんだな。これは面白いな』と思いました。そこから徐々に、靴磨きの技術の奥深さがわかってきたのです」

 

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■決まった時間に同じ場所にいる。それが路上で商売する時の絶対的な基本。

 

 丸の内の路上で1年ほど靴磨きを続けた長谷川さんはその後、品川駅の港南口に仕事場所を移す。そして、一気に売り上げを伸ばしていく。

 

「当時は、洋服店での仕事の休みを利用してやっていました。丸の内にいたころは休みが定まらなかったこともあり、結局、それほど稼げなかった。そこで気分を変えるために品川駅に移りました。21歳の時です。

品川駅に行っても勤めは辞めずに続けていたのですが、ここで大きな変化がありました。それは、洋服店で副店長に出世して、毎週水曜が休みになったこと。つまり、決まった曜日に路上に出ることができるようになったわけです。これが大きかった。決まった時間に、同じ場所にいることは、路上で商売する時の絶対的な基本ですから。

僕は毎回黒板を出し、そこに営業時間などを書いて宣伝をしていました。そこを通りがかる皆さんの行動は『あの兄ちゃんは何だろう?』と不思議に思うことからから始まります。当然、いきなり来ることはありません。でも何カ月もずっと同じ場所にいると、それが普通になる。そして『いつか行ってみよう』となり、ふとした時に来店いただく。そうやってお客さんが増えていき、徐々に列が長くなる。そして、その行列を見た人達が引き寄せられるようになるわけです。

また、雑誌で取り上げていただいたことも大きいですね。いつも同じ場所を通る人達に存在を知ってもらい、来ていただく。それだけじゃなく、雑誌掲載をきっかけに、ここに来たい、という目的を持って来られるお客さんが徐々に増えていきました。それと、出張サービス。通常の営業時間以外に、お客さんのご自宅や会社に呼ばれてうかがう機会が増えたのも大きかったです

 

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品川駅に移って間もなく、長谷川さんの元には行列ができるようになった。どうして彼は、他の靴磨き職人と自らを差別化できたのだろう。

 

「まず当時、靴磨き店は路上の他、ホテル、空港ぐらいにしかありませんでした。そして路上でやっているのは、古くからの職人ばかり。僕以外の新参者は、ほぼいません。

そしていわゆる靴磨き職人というと、昔からやっている年配のおじいさんが汚れたボロボロの服を着ているイメージです。でも僕は路上に出る時にも、ファッションにはとても気を使っていました。自分で言うのもちょっとアレですが(笑)、『そこそこイケメンでオシャレな靴磨き職人』という存在自体が、差別化なんです。そして『あの場所にはいつも、カッコよくて面白い靴磨きの兄ちゃんがいるんだよな』となるわけです」

 

品川駅に移って1年が経ち、22歳となった長谷川さんはその後「23歳で社長になる」という夢に向かい、路上を離れてブリフトアッシュを立ち上げることを決意する。
Part.3では、長谷川さんのキャリアのその後、そしてブリフトアッシュの価格戦略について、深く掘り下げていく。

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プロフィール
長谷川 裕也

長谷川 裕也 はせがわ ゆうや

(株)BOOT BLACK JAPAN 代表取締役

1984年千葉県出身。営業マンを経て2004年、20歳の時に、日銭稼ぎ丸の内の路上で靴磨きを始める。
1年後に品川駅前の路上へと移って徐々に顧客を増やし、2008年、南青山にBrift H(ブリフトアッシュ)を開店。
新たな靴磨きのスタイルを模索し続ける。

※ 会社、役職、年齢など、記事内容は全て取材時のものです

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